陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『やがて君になる 佐伯さやかについて(3)』入間人間

 

 

やがて君になる 佐伯沙弥香について(3) (電撃文庫)
 

 

 入間人間のすごいところは、キャラの心理描写がうまいところだ。しかもそれが他人の産んだキャラクターであり、さらに作中でも屈指の人気のある人物であっても巧みに描写できる。こうしてキャラクターを淀みなく動かせるのは、当たり前のようにやっているがすごいことだと思う。特にこの三巻は原作よりも未来の話であり、漫画にはほとんど描かれていない佐伯沙弥香の大学生時代の物語なのだが、文章に違和感がない。

 

 原作者の仲谷鳰は「沙弥香のことを思いきり幸せにしてあげてください」と入間人間に言ったそうで、だからこれは沙弥香が幸せになるために書かれた物語だ。大学の後輩、枝元陽との新しい出会いによって沙弥香が報われる。本書の内容をまとめると、このように簡潔なものとなる。

 そのせいか、本書の物語は大きな波乱の起こらないものとなった。沙弥香は新しく出会った女の子の告白を受けるかで悩むが、その葛藤もわりと早めに解決されてしまう。本来、物語上の障害はストーリーに起伏を与える。その障害がないことによって、本書ではこれまでのシリーズと比べてドラマが弱くなり、ちょっとだけ平坦な印象を受けるものとなった。沙弥香自身が「順調に行き過ぎている」と不安になるほどだ。

 とはいえ、読者としてはこれでいいではないかとも思う。この佐伯沙弥香の大学生時代は、「やがて君になる」という物語においては丸々エピローグのようなもので、本当は二巻のラストで橙子と別れたことにより、沙弥香の物語は終わっていたはずだった。

 だから波乱の展開がなくて物語がいくらか平坦になっても、とにかく沙弥香が報われて欲しいという読者の気持ちにこの本は応えてくれたことで、読んでいて満足感がある。

 そういった大団円の雰囲気は本書のいたるところで満ちている。

 沙弥香の周りには多くの友人がいる。小糸侑がいて、愛果もみどりも背中を押してくれて、喫茶店では都さんが相談に乗ってくれる。これまでの人生で出会ってきた人たちと沙弥香が良い関係を築いているのは、読んでいて温かい気持ちになれる。これらの関係自体が、悩みと痛みの多かった沙弥香の歩みへの肯定となっている。特に侑との距離感はとても良くて、陽と二人で侑の家を訪ねる場面は好きなシーンだ。

 もう一つ好きなシーンは物語の終盤、沙弥香たちがプールに行く場面。水の中で、沙弥香は小学生のときの出会いを思い出す。黒髪の少女が、あのとき何を感じていたか。時間を超え、沙弥香は自身の身で体験することとなる。

 全ての始まりだった出会い、そこから生じた選択と痛みがあったからこそ、この日を迎えることができた。

 ここに、この『佐伯沙弥香について』のシリーズ全体を貫くテーマがある。これまでの出会いや別れは、無意味ではなかったのだ。

 

 そして最後に、沙弥香は満を持して燈子と再会する。

 違う道を歩きだしたふたりの会話は少し切ないが、最後にふたりはあることをする。

 それはふたりの変化を象徴するような印象的な行動であり、たとえ外伝であっても『やがて君になる』という物語を締めくくるのに、とてもふさわしいものだった。