名探偵スマイリー。それにル・カレの視線『死者にかかってきた電話』(2)ジョン・ル・カレ
著名な作家のマイナーなデビュー作を読むのは楽しい。シリーズ物となれば尚更だ。よく知っているキャラクターたちの若いころの(つまり、初登場時の)姿が新鮮でおもしろい。
たとえばジョージ・スマイリーは後のシリーズと変わらず、いつも通り冴えない。なんせ「身分違いの美女と結婚した」と社交界で陰口を叩かれている、そんなエピソードから物語が始まるほどで、スマイリーがいかに冴えないかという描写にル・カレはやたらと力を入れている。嗜虐的なほどだ。
しかし中盤で、そんなスマイリーがソリの合わない上司(のちのシリーズにでてくる管理官とは別人)にいびられて思わず泣いてしまう。「スマイリー三部作」のころの老練とした姿とは程遠い、スマイリーの青くさい姿に新鮮な驚きがある。
さらにはスマイリーの同僚のピーター・ギラム。『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』の頃は若々しい悩めるプレイボーイだったが、本作では思慮深い初老の紳士のような喋り方をして、しかもスマイリーからは敬語で話しかけられる。
設定の固まっていないデビュー作だからこその出来事で、のちのシリーズとのギャップが大きくておもしろい。
シリーズ恒例のスパイたちの使う隠語の設定もまだ固まっていない。たとえばイギリス情報部は、のちのシリーズでおなじみの「サーカス」ではなく「役所」と呼ばれている。
注目したいのは「役所」でのスマイリーのあだ名だが、よりにもよって「もぐら」であることだ。言うまでもなく「もぐら」とは『ティンカー、テイラー』における、情報部に潜り込んだ裏切り者を指す隠語であった。
戦争での爆撃の跡がいまだ残るロンドンで、外務省職員のフェナンが自殺した。捜査機関はその直前にフェナンを尋問をしていた諜報員、スマイリーに自殺の責任があると疑いをかけるが、スマイリー自身はフェナンとのやり取りは終始和やかなものであり、自殺に結びつくものではないと知っていた。
フェナンの死には何か別の理由があると睨んだスマイリーは特別捜査班の刑事、メンデルとともに独自の調査を行う。やがて事件は敵対する東ドイツの陰謀、さらにはスマイリーの暗い過去とも結びついてくるのだった。
ジョン・ル・カレといえば『寒い国から帰ってきたスパイ』や『ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ』など、スパイ小説の金字塔をいくつもモノにした、押しも押されぬスパイ小説の大家である。
そういった印象が強い読者ほど、このデビュー作のスタイルに驚かされるだろう。というのも本作のジャンルはほとんど本格ミステリなのだ。
疑う人がいるならば物語の終盤、自宅でスマイリーが懸命の推理に励む場面を読んでみれば良い。
ここでスマイリーはこれまでの事件の謎と手がかりを一気に列挙し、そして「勝負はついた!」と全ての謎が解けたことを宣言するのだ。
これは作者による「この小説の謎を解く手がかりは全て出そろった」という宣言であり、つまり「読者への挑戦」となんら変わりない役割を果たしている。
他にも本作から本格ミステリ「らしさ」は多く見られる。
たとえばル・カレは序盤に魅力的な謎を用意している。「外交官は、なぜ自殺の2時間ほど前にモーニングコールを依頼したのか?」というホワイダニットであり、この電話をめぐる謎が物語の中心となって読者の興味を引っ張る。
また、スマイリーの相棒は恒例のピーター・ギラムではなく『ティンカー、テイラー』でも登場したやり手の刑事、メンデルが務める。スパイと刑事という職業も性格も、生まれ育った階級も違う二人がコンビを組む様子はホームズとワトスンなど、いくつもの探偵小説で見られたおなじみの設定である。
序盤に提示される魅力的な謎。頭脳明晰な名探偵と活発な助手のタッグ。
これらはすべて探偵小説──というよりも本格ミステリのパターンと合致している。
しかも終盤には意外な犯人と、構図の鮮やかな転換による事件の解明さえ用意されている。実際の読んでみた感触も本格ミステリのそれに近い。
また、とある場面で登場人物のなにげない一言が偶然にも事件の真相を示唆していたという場面があり、こういった遊び心にもミステリらしさが感じられる。
偶然か、それとも意図的なのか。本作は本格ミステリの性格やお約束を、これほどまでも備えた作品なのだ。
この本格ミステリへの接近は、たぶん意図的なものだと思われる。なぜなら次作の『高貴なる殺人』が、学校で起こった殺人事件をスパイを辞めて市井の人間となったスマイリーが捜査するという、より本格ミステリのフォーマットに沿った作品だからだ。こういった作品を続けて書いたということから、初期ル・カレにミステリへの強い志向性があったことは確かだろう。
こういったミステリへの志向性は『寒い国から帰ってきたスパイ』の伏線の周到さと終盤の逆転劇へ。さらには『ドイツの小さな町』で真相を知った主人公が大使館に登場する、解決編開幕のカタルシスにもつながっている。
ル・カレは物語を盛り上げるためにミステリの手法を意欲的に取り入れる。しかし『死者にかかってきた電話』に関して言えば単にミステリのテクニックを拝借したのではなく、本質的な構造としてミステリを志向しており、そこがル・カレの作品群において特別となっているのだ。
スマイリーも例外ではない。ドイツを愛するスマイリーはその地を蹂躙したナチスへ怒りを抱き、それがスマイリーを戦時中のスパイ活動に熱中させた。
物語が佳境を迎えるにつれ、そんな悲しみをル・カレは浮き彫りにする。
事件のクライマックスでは、因縁のあるスパイたちが再会する。一方は過去を忘れて相手を殺そうと必死になり、もう一人は旧友のために冷酷な殺人者であることを止めようとする。その瞬間、互いが信じたイデオロギーの差異は無価値となる。殺す者と殺される者が逆転する様は、男たちが同じコインの表裏に過ぎないことを表す。
この鏡像関係は『寒い国から帰ってきたスパイ』やスマイリー三部作でル・カレが繰り返し描いてきたテーマである。その源流がここにはある。
終盤、スマイリーは事件を次のように総括するが、これらの言葉は事件だけではなく、自由と正義のために戦った自身や組織への総括であり、さらには嫌悪の表明にも思えてくる。
「現在、平和というのはうす汚れた言葉だ」(中略)「ふたりとも、平和と自由を夢見ていた。そして現状は、殺人者であり、スパイでした」
スパイという存在の矛盾と皮肉を描き出し、さらにル・カレはどこまでも冷徹に、最後の最後に駄目押しの一撃を加える。
飛行機の中でアンとの再会を夢見るスマイリー。その姿を、偶然居合わせた少年はどう見るのか。社会を守るために戦った主人公への、守るべき社会から向けられる視線で物語は締めくくられる。
ここに至ってスマイリーの終生に渡る孤独は完成し、ジェームズ・ボンド的なスパイ像は完膚なきまでに破壊される。
ル・カレはイギリス情報部に所属していた時期に、つまり諜報の世界がもっとも身近な時期にこの作品を書いた。あらためて、その事実が大きな意味を持つように思える。