陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

安達としまむら アニメ特典小説(4)『Abiding Diverge Alien』

 

 

※ネタバレありの記事です。

まさか『安達としまむら』で二人の初体験をめぐるストーリーが描かれるとは思わず、3巻の展開に読者は大きな衝撃を受け、喝采を叫んだ(多分)。

しかし、入間人間はこの特典小説の四巻でさらに踏み込んだ描写を行う。

四巻のストーリーの焦点は、「しまむらたちの老いと死」である。

物語は八十才近いお婆さんとなったしまむらが、寝床から起き上がる場面で始まる。

安達はこの世を去り、日野も永藤も樽見も、しまむらの妹さえも死に、しまむらだけが残された世界。

かつての修学旅行で、霧の中を通して安達のいない自分の世界がいかに空虚であるかを幻視したしまむらはその数十年後、あの時予感した世界を実際に生きなければならない。

それは安達としまむらが出会ったことで物語が始まったのだとしたら、その物語は安達としまむらの永遠の別離、つまり死によって締めくくるべきだというように。

老人となったしまむらの生活はかなり寒々しい。朝起きてもやるべきことがなく、意味もなく生命を維持しているだけの生活。かつての安達との出会いによってもたらされたものがほとんど失われ、幸福は過去のものとなった。

物語の前半は一人ぼっちのしまむらの、乾いた生活の様子が綴られる。

前巻の温泉旅行の顛末には『安達としまむら』史上、最上級の幸福感があったのだが、その頃と現在との落差に驚かされ、人が老いることは様々なことを失うことであるという事実に改めて衝撃を受ける。

しまむら日課は安達の幻覚と会話することだ。幽霊とも違う、自分の脳内がこれまでの経験から作り上げた、都合の良い安達。しかも出会ったときの女子高生姿をしている。

その様子は少し微笑ましく思えるが、一方でしまむらが安達との別れを未だ受け入れ切れていないようで、胸がつまる。

年月が全てを変えてしまった中で、ヤシロだけがいつもと変わらないのだが、そのヤシロさえもむしろ周囲の変わってしまった光景を際立たせるようで、余計に切ない。

孤独の影と寒々しさを背負いこみ、さらにしまむら自身の死の影が作中でちらつき、物語は否応にも薄暗いものを纏う。

しかし、そんな暗いストーリーにやがて一筋の光明が差す。

しまむらの孤独を癒すのは、やはり安達であった。
しまむらの幻覚のはずの安達が奇跡のように現実化する瞬間がある。


『気にしてるの?』
『気にしてるっていうか・・・・・・・それはまぁ、歳をとればみんなそうだから』
「死ぬのは怖い?」
 一瞬、指が止まる。でも前を向いたまま、平地を踏むように答える。
「んー、あんまり」


安達の幻影はこの瞬間だけ、まるで実態のようにしまむらのそばに存在する。セリフの鍵かっこの違いでその距離感が見事に表現されている。

たとえ死んでも、空想が生み出した幻であったとしても、安達はしまむらのそばにいて、生きる希望であり続ける。

死ぬことの不安さえも、安達によって取り除かれ、未来を照らす光となる。しまむらにとっての安達がどれほど大きな存在であったか。

かつて安達は「しまむらは太陽だ」と称した。そんな安達がしまむらを暖かく照らす存在であることに、二人の愛情と積み重ねてきた時間がより顕著に感じられ、読んでいる方も救われる気持ちになる。


そして、しまむらがヤシロと交わした約束がついに明らかになる。
しまむらがヤシロに語る願い、それは「別の世界線の自分と安達たちが、必ず出会えるようにする」というものだった。

 

「わたしに会えない安達も、安達に会えないわたしも・・・・・・どこにもいちゃいけない気がする」
それが『安達としまむら』の世界を形作るなら。

 

 


ヤシロはしまむらの願いを受け入れた。

舞台は別の世界へ。

外伝の1巻よりも少し前、ひとりぼっちのまま街をうろついていた頃のチトに移る。

孤独で、生きることの実感を持てないまま世界をさまようチトのもとに、空からヤシロが降ってくる。

全てを変える新しい出会いと、新しい物語の始まりを予感させる場面で小説は幕を下ろす。

 

全4作の外伝小説に共通するユニークな点として、チトとシマのストーリーが並列して語られることが挙げられるだろう。

安達としまむら側のストーリーでは、二人の日々が進展する様ー出会った相手との関係が長い人生を通して豊かなものに成熟されていくーを、そして決定的な別れ(死別)までの過程が。

チトとシマ側ではひとりぼっちの少女が放浪の果てに新たな出会いを果たし、それによって絶望的な世界の状況の中でも、新しい希望が芽生えようとする様が描かれた。

1巻の頃、チト視点の話には唐突さと戸惑いを禁じ得なかった。
しかし並列して語られたチトの物語が最後には一つの物語に収束することによって、この外伝小説に本編とは違う、独特のスケールが生まれた。

乱暴な表現をすれば、それは宇宙的な視点であり、一つのサーガのような巨大な物語の枠組みである。もちろん、これには宇宙人であるヤシロの存在も寄与している。

日常の様子を丁寧に描写するため『安達としまむら』の物語は本来、地味な印象を与えがちだ。
それをこの外伝小説では、別の物語を付け加えるという構成の工夫で本編とは違う、新しい魅力が生まれたのだ。

さらに最後の話を安達との死別と、チトがシマに出会うための旅の、その始まりの瞬間で締め括られることによって、いっそう物語に統一感が生まれている。

最後の結末から読み取れるのは、人の避けられない運命を、それでも肯定しようとする前向きな姿勢である。

安達としまむらが出会い、死という別れを経たことでヤシロは別世界へ旅立ち、チトとシマは出会うことができた。

いや、もっと言えば老いてほとんどのものが失われ、過去の残滓を頼りに日々を過ごすしまむらが、それでも安達との出会いを良いものだったと思えたからこそ、ヤシロに別世界へ介入することを求めたのだ。

そこには、たとえ最後には絶対的に避けられない別れが待っているとしても、人と出会うことには意味があるというメッセージが感じられる。

そしてこれは入間人間が百合作品で書き続けてきたテーマではないか。

『少女妄想中。』で、『佐伯沙弥香について』で、『エンドブルー』で書かれてきたのは、たとえ悲劇的な別れに終わっても、それでも人と人が出会うことを肯定しようとする意思だった。

入間人間の複数の百合作品を貫くものは、このテーマなのかもしれない。*1

現在、『安達としまむら』の10巻(本編の方)をちょっとずつ読んでいるのだが、この外伝小説での別れが前提になっているせいか10巻の内容が、より愛おしく感じられる。

この頃の日々があったから、老いて多くのものを失ってもしまむらは希望を持つことができたのだろう。それがわかっているからこそ、10巻のふたりの日々がより尊いものに思える。

というわけで、この一連の外伝小説は『安達としまむら』の世界に神話的なスケールと共に、さらなる奥行きを与えた傑作である。ファンの人は、ぜひ読んでほしい。

あと「九月中に記事を投稿する」と宣言しておいて、こんなに遅れてしまってすみませんでした。

*1:ただ、自分は入間人間の百合作品の全てを読破したわけではなく、さらに『きっと彼女は神様なんかじゃない』はどうだったか覚えていないので、これは言い過ぎかもしれない。