陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『Iの悲劇』米澤穂信

 

Iの悲劇

Iの悲劇

 

 過疎地への移住、「Iターン」を支援する市役所の人間たち。市長肝いりのプロジェクトだが、実務に励むのは「甦り課」の3人だけ。ぐうたらで定時になるとすぐに帰る西山課長。ちょっと仕事と先輩を舐めている新卒の観山。出世コースから外れ、「甦り課」に左遷された万願寺。この万願寺が頼りにならない二人に代わり、一癖も二癖もある移住者たちのフォローをしなければならない。しかも移住者たちの間では様々なトラブルが起きる。放火騒ぎ、消えた鯉、子供の失踪、さらには祟りまで。プロジェクトを成功させてどうにか出世ルートに戻りたい万願寺は、そのたびに奔走する羽目になる。
 と、状況だけ書き出せばこの物語がユーモアなものに見えるが、実際は違う。救急車が駆けつけるのに40分もかかるような過疎地、そこで暮らす人たちの閉塞感や停滞感が文章にも表れている。
 
 本作の巻頭を飾る「軽い雨」は2010年の「オールスイリ」に掲載された。その後、数年ごとの超スローペースで続編が発表され、9年後にようやく一冊の本として発売されることとなった。ここらへんは『本と鍵の季節』と同じような流れだ。
 自分はこの「軽い雨」をリアルタイムで読んでいたが、その後もシリーズが続いていたことは知らず、こうして一冊の本になったのを知って驚いた。長い時間がかかっているといっても、加筆訂正のためか物語にいびつなところは感じられない。

 『本と鍵の季節』と続けて読んだが、この二作からは物語をおろそかにしないという、米澤穂信の強い意志が感じられた。ミステリー小説では時として物語よりも謎やトリックが優先される。だが、米澤穂信は謎解きの面白さを損なわず、それでいて充実した物語を紡ごうとする。  
 例えば「浅い池」では<どうやって池から鯉を消すことができたか>という、いかにもミステリーらしい謎が扱われている。しかしその真相は名探偵の推理を介さずに、読者に(わりと)あっさり提示されてしまう。人を食ったような展開だが、それがむしろ結末のアイロニーやブラックな笑いを引き立てている。もし、謎解きを重視する作家ならば解決場面をこのようには書かなかったのではないか。
 単なるパズルではなく、おもしろい物語を書くこと。それをできることがこの作者の強みであり、『Iの悲劇』の見所である。


 そうして、真っ当に面白い物語の最後に、米澤穂信はさらにある「企て」を用意している。この企み自体は前例がないわけではない。しかし物語と相まって、かなりの効果を上げている。
 万願寺が最後にたどり着くのは巨大な悪意だ。他人の人生を管理し、弄ぶ悪意。しかもその悪意の上に自分たちの生活が成り立っているという皮肉。その皮肉を作者は「I の喜劇」と名付けた。
 真相を前に、万願寺はありえたかもしれない里の様子を思い浮かべる。永久に奪われてしまった、幸福な未来の残滓は万願寺をどこに歩ませるのか。

 真っ当に面白い物語と謎解き、それにダークな読後感。「Iの悲劇』はこれらの魅力を備えた、充実した作品である。