陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『ドイツの小さな町』ジョン・ル・カレ

 

 

 

 

 舞台となるのは反英感情が高まり、デモ行進やナショナリストの指導者のポスターが町中に張り出されている西ドイツの街、ボン。

 そのボンでイギリス大使館の職員、リオ・ハーディングが失踪する。彼は敵国の二重スパイだったのか? 調査のため公安部の調査員アラン・ターナーがイギリスから派遣され、大使館の人間たちに聞き込みを行いハーディングの行方を探ろうとする。しかしその背後には各国の思惑が絡んだ陰謀が隠されており──

 

 

 物語の大半はボンを訪れた調査官ターナーによる、ハーディングの同僚たちへの尋問で占められる。

 最初に言うと、疲れる読書ではあった。なんせ一つ一つの文章の情報量が多く、どのセリフや記述が伏線になるのか気が置けない。そのうえ、主人公のターナーは自分の推理の道筋をめったに明らかにしてくれない。なのでターナーの思考についていくのも読者は苦労する羽目となる。記憶力に自信がないせいで、読む期間が少しでも空くと話についていけなくなってしまう。仕方ないので伏線になりそうなところを細かくメモしながら読み進めたが、今でもストーリーの全容をつかめている気がしない

 しかし、アクションも乏しく言葉の応酬が続くストーリーはすこぶる地味なはずなのに、これがかなり面白い。ル・カレの筆は相変わらずスローペースで、ハーディングの失踪が発覚し、ターナーがボンを訪れるまで約100ページも費やされるのだが、この序盤で大使館の雰囲気と職員たちの生活を描写したことが後々になって効いてくる。

 

 

 大使館では職員ごとにAランクやBランクと階級が決まっていて、Aランクの職員はBランクの職員と付き合わないなど、完全な階級社会ができあがっている。日曜の礼拝では、職員の妻たちの歩く順番が夫の地位の順になることが暗黙の了解となっていたり、教会に一番最初に入るのは最年長の夫人で、その夫人は順番を譲られたことを驚くふりを必ずする。

 上流階級のルールや格式ばったスノッブさに縛られた世界。そんな大使館を優秀だが粗野なターナーが土足で踏み込んで行き、人々の秘密を暴いていく姿には意地の悪い楽しさを覚える。

 ターナーの食えないプロフェッショナルぽさも良いし、外務省のブラッドフィールドやド・リールのスノッブさも秀逸である。けれど特に印象的だったのは中年女性の職員、パージターであった。

 この女性は自分より階級が下のハーディングに誘惑され、規則を破ってあることをしてしまったのだが、そのことを周囲の噂から嗅ぎつけられるのを恐れ、自分からターナーへ告白しようとする。

 最初は毅然とした態度でターナーに対するパージターだが、ターナーの容赦ない追求に次第にボロボロになっていき、ついには泣き出してしまった上に孤独な自分がハーディングに誘惑され心を乱し、しかも最後には都合よく利用されて捨てられたことを認める羽目になる。

 裏切られた人間の惨めさをターナー=ル・カレは容赦なく抉り出すが、そんな痛ましいパージターの姿に読んでいるこっちも意地の悪い楽しさを感じずにはいられない。

 外務省の中でハーディングはランクの低い下級職員であり、しかも純粋なイギリス人ではなくドイツからの移民ということもあって他のメンバーから軽く扱われている。そんなハーディングが大使館メンバーたちを巧みに取り込み、ある目的を達成しようとした様子が調査で明らかになっていく。このスノッブな大使館の世界で、取るに足らない男だと思われていたハーディングが太々しく立ち回る姿にはピカレスクな魅力がある。

 同時に、冴えない職員に思えたハーディングの思わぬ知略に、いつしかターナーの興味はハーディングの人生へと移っていく。

 

 

 ターナーは消えたハーディングの行方を追い続けるが、それは必然、ハーディングという

人間を理解することにつながっていく。やがていつしか、追う者は追われる者に共感を覚え始め、やがて表裏一体の存在となる。ターナーがハーディングの思考を、人生を理解しようとするたびに、単なるソ連の二重スパイだと思われていたハーディングのまとった皮が一枚、また一枚と剥がれ落ちていく。そしてハーディングの人生を探求することは、ドイツの歴史を辿ることでもあった。

 

 言わずと知れたことだが、かつてジョン・ル・カレはイギリス諜報部のスパイであり、実際にドイツのボンへ外務省職員として赴任していたという。当時のドイツでは本作のような大規模な反英デモは行われなかったらしいが、本書から読み取れるドイツの不安定な雰囲気と、そんな場所で生活しているイギリスの外交官たちの無力感にはリアルなものが感じられる。それはこのル・カレの経験が活かされているからだろう。

 第二次世界大戦でのドイツの敗戦とナチス戦争犯罪。イギリスはじめ戦勝国から与えられた祖国に、ドイツ人が見せる負の感情。

 冒頭から名前だけ登場していたドイツ統一運動の指導者、カーフェルトが終盤にようやく登場する。ナショナリストであるカーフェルトに熱狂する街の様子には、かつてのヒトラーの姿が重ねられる。

 当時のドイツでは元ナチスの党員が断罪されず、新生されたはずのドイツで新しい職に就くようなことが平気で行われていたという。その様子を現地で目撃していたル・カレにとって、ドイツの極右化とナチス復権は身近な恐怖だったのだろう。

 

 

 そして終盤、ターナーがハーディングの目論見をついに見抜いたとき、ここ一番でル・カレは鞭を振って読者を煽る。事件の手がかりを詰め込んだカートごと、真相を知ったターナーが満身創痍で大使館に再び現れる場面で物語は俄然盛り上がり、しかしこの終盤でハーディングの秘密が明かされても物語は幕を下ろさない。

 最後にターナーとハーディングの前へ立ち塞がるのはどこまで行っても個人が無力な、国と国の巨大なゲームである。そこでターナーはハーディングを追い詰めたものの正体を知る。周囲の無関心、国と国のパワーゲームによって分割され統治されたドイツの怨念。偉大なる大国としての地位から滑り落ちながら、威信にすがりついて介入をやめないイギリス。繰り返される歴史に、ハーディングが乗り移ったかのようなターナーが国家的利益のために押しつぶされる人間がいると強く反発する。

 やりとりの背後にはル・カレの当時のドイツとイギリスの関係への感情も伺えるが、それ以上に印象的なのはル・カレが母国へ向ける視線があまりにシニカルであることだ。

 

 

 物語はささやかな一つの殺人と、極めて事務的なセリフで締めくくられるが、そのセリフを発した者は名前さえ示されない。ただ『アングロサクソン人』だと人種だけが強調される。 

 ル・カレは怒っている。そしてこの怒りが、後の『ティンカー、テイラー』などの傑作群に比べ、この小説ではストレートに表れている。

 静かで乾いた結末を読みながら思うのは、改めてル・カレにとってイギリスとは何なのだろうか、イギリス人であることはどういう意味があったのか、ということだった。