陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

安達としまむら アニメ特典小説⑵『死間』

 

 
※ネタバレありの感想です。


 特典小説の一巻では安達としまむらが社会人となり、同棲している様子が描かれたが、この2巻ではしまむらが20歳の誕生日を迎える日、つまりしまむらの大学生時代が舞台となっている。
 20歳となったしまむらは安達からの電話を待ちつつ、散歩に出かける。そこで着物姿の日野と偶然出会い、二人で日野の家へ遊びにいくこととなる。日野は現代の貴族として働いておらず(進学もしていない)、永藤とは今も変わらず親交があるようだ。
 この日野のキャラが良い。これまでも良かったが、この巻は輪をかけて良い。
 しまむらと日野、二人のやりとりは高校時代となにも変わらない。
 日野家でちゃっかりお昼ご飯どころか、昼風呂まで堪能するしまむらに笑ってしまうが、最後にはしまむらが親元を離れることによる、日野との別れが示唆される。
 この別れのシーンが白眉である。
 もしかしたら、もう二度と会うことはないかもしれない。それでも、日野は明るく言ってのける。

「友達だから別れるんだ。関係なかったらそんなことにも気づけない」

 過去は変えられない。ならば、友達だったという過去も変わらない。だからこそ、今の別れも肯定できる。
 将来、避けられない別れが来るとわかっていながら、なぜ人は人と出会うのか。人と出会うことに意味はあるのか。日野の言葉はこの問いへの鮮やかなアンサーだ。
 もう会うことはないかもしれない。そんな別れを目前にして、日野は気取るわけでもなく、しまむらとの出会いの価値を笑いながら、しっかりと肯定してみせた。二人が出会ったのには、たしかに意味があった。

 さて、肝心の安達だが、この二巻ではどういうわけかしまむらの誕生日を忘れていたようで、安達の出番は一瞬しかない。セリフさえない。
 しかし、その不在がしまむらからの安達への想いをむしろ際立たせている。 
 たとえば誕生日なのに安達から電話がかかってこないことについて、しまむら「できれば、わたしからなにも言わないで気づいてほしい」なんて考えている。こういうめんどくさいことを考えるのは、これまでは安達の方だったのに。
 安達との関わりを経て、しまむらは少しずつ変化している。そしてその変化をもたらすのは、いつだって安達なのだ。
 満を辞して安達が登場する唯一のシーン、その登場の仕方も実に安達らしい。
 しかし、安達の変わらないその姿にこそ、しまむらは価値を見出しているのだろう。
 しまむらが自分の将来について考えるときも、そこには安達と一緒にいることが前提となっている。

これからの話を安達とたくさんして、叶えていかないといけないから。
死ぬまでの間、わたしは、幸せでいたい。
わたしの幸せが誰かの喜びでありたい。

 


 つまりなにが言いたいかというと、しまむらって安達のことむちゃくちゃ好きなんだなということである。

 誕生日の夜、しまむらはヤシロに「理想の死」について語る。
絶対に避けられない結末、その漠とした不安に、ヤシロは「最後の日にはわたしも一緒になにか考えましょう」しまむらに言う。
 これが前巻の「しまむらさんとの約束」につながるのかなと、この段階では予想していた。
 しかし、実際にはこの「約束」はより壮大な意味を持っている。それがわかるのは最終の四巻での話であった。

 一方、人類が滅亡(?)した別の世界では、チトとヤシロが生き残りを探して歩き回っていた。
 ヤシロはこの旅には目的があり、それは「もう終わるかも」しれないという。
 そしてふたりは、「シマ」と名乗る少女と出会う。
 終わりかけた世界での、新たな出会いはなにをもたらすのか。

 ところで、安達母についてしまむら母の歯切れが悪いのはなぜなのだろうか。もしや娘に言えないような仲になっているのか。