陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

1グロスは12ダース(144個)『虚構推理短編集 岩永琴子の純真』城平京

 

 

 作中で主人公の岩永琴子が「あるもの」を1グロスも差し入れしようとするシーンがあるので「グロスとはなんぞや」と思って検索したが、本当に業務用の<アレ>がページの上の方に出てくるのには驚かされた。

 『虚構推理 岩永琴子の純真』城平京による『虚構推理』の第2短編集である*1。作中には5本の短編が収録され、内4本は片瀬茶柴により既に漫画化されている*2

 『虚構推理』は「一眼一足の知恵の神」である岩永琴子と、人魚の「不老不死」と件(くだん)の「未来予知」という二匹の妖怪の能力を持つ桜川九郎の二人が怪異の関わる事件を解決し、世界の秩序を守るというミステリシリーズである。
 シリーズの特徴として、アンチミステリの性質が強い。たとえば「地縛霊が事件を偶然目撃していたから、真相がわかりました」というのを平気でやったりする。
 なので「名推理による真相解明」なんてものは望むべくもないのだが、代わりに霊や妖怪の関わる事件を、その存在を隠したまま合理的で筋の通ったウソの推理で解決するのがストーリーの山場となっており、探偵役の岩永琴子は「名探偵」というよりも、世界の秩序を守る「神」として振る舞う。タイトルの「虚構推理」はここから来ている。
 そのため「事件の真相」ではなく、「秩序のために岩永は何を目的とし、どうやって達成するか」というのが読者の興味を引っ張る謎として機能しており、シンプルで痛快なミステリというよりも、ある程度ミステリを読み慣れた読者向けのひねくれた味が作品の妙となっている。

 

「雪女のジレンマ」

 雪女と親しくする男に元妻殺害の容疑がかかるが、男にはアリバイがあった。しかしそのアリバイは「雪女と一緒にいた」というものであり、警察に話せるわけもない。これがタイトルのジレンマである。
 男を救うため、雪女は岩永に依頼する。

 コミックス12巻のアマゾンレビューが「雪女かわいい」で埋まったほど、シリーズ屈指の人気キャラクター雪女が登場する事件。
 まあ、さすがに漫画でのかわいさを文章で再現するのは難しかったようで、特にコミックス版と違い九郎が雪女たちと遭遇しないため「それに比べればおぬしのなんとめんこいこと!」というシーンがカットされたのがちょっと残念だった。
 しかしミステリとしては改善されていて「犯行時に被害者が抵抗していた」ことが推理パートで強調され、被害者が「アレ」を用いたはずという推理に説得力が高まっている。これはコミックスからの良改変だった。
 他にも「雪女という証人」の意味が逆転する様についての考察が付け足され、物語のトリッキーさが増している。皮肉の効いた逆説、それに女難の男と雪女の恋愛が絡み、なかなかの好編。
 ちなみにラストの真犯人はアンフェアではないかという向きもあるだろうが、作者の城平は「登場人物が極端に少なく(中略)犯人と指摘されても存在が読者の記憶に残っているだろう」という理由で「なんとかフェアと言える」としている。

 

「よく考えると怖くないでもない話」

 これはごく短い話であり、妖怪ゆずりの能力を持ちながら苦学生として生活する九郎が、バイト先でどんな扱いを受けているかを垣間見るような、箸休め的な作品である。
 曰く付き物件の真相にはちょっとした意外性があるが、それよりもタイトル通り怖いようでそうでもないような、微妙にひねくれたオチに小噺としての魅力がある。
 ともあれ、全体としては「真っ暗な恋人の部屋にロウソクを灯し、額の上で皿を回す岩永」の姿に尽きる。

 

「死者の不確かな伝言」

 これは漫画版よりも面白く感じた。文章だけの方が作中のロジックにより集中できるせいだろうか。
 死者からの伝言がいかに推理の根拠にならないかというダイイングメッセージ批判から始まり、そこからダイイングメッセージにまつわる事件の固定観念を次々と解体していく様が楽しい。 
 だが、より印象的なのは事件へ決着をつける、岩永の方法である。
 最後に岩永が提示するのはそれまでの仮説を踏まえながらも、前提となる大枠をひっくり返すような強烈な「解決策」。
 もはや推理でもなんでもないが、岩永の奸智と意地の悪い顛末が素晴らしい。真相よりも目標達成を優先する、岩永らしい事件であった。
 ちなみにこの話は岩永のかつての同級生がシリーズのラスボス、桜川六花と偶然出会い、その六花に岩永の思い出を語るという、回想の形をとっている。
 そして同級生とのやりとりを見ると、六花の方が岩永よりも人間関係に関してはだいぶまともに思える。主人公としてどうなんだ。

 

「的を得ずに的を射よう」

 これもごく短い話である。
 大岡政談をモチーフに、拾った弓矢の所有権を主張する2匹の猿を裁こうとする岩永。
 そのための手段と裏の真意が面白いが、それ以上にオチが・・・。
 なお、この小説版の最後だと岩永は自分のやったことを棚に上げて九郎に怒っていたことが判明する。あんまりだぞ。

 

「雪女を斬る」

 ラストを飾るのはこの巻のための書き下ろし短編。ボリュームも短編の中で最も多い。

 江戸時代、雪女を斬って剣の奥義を極めたという達人が、屋敷の庭で何者かに斬られた状態で発見される。死の直前、男は「ゆきおんな」と言い残して命を落としたが、果たして達人を斬ったのは雪女なのか?
 そして現在、自分が雪女にまつわる呪われた血を受け継いでいるのではと恐る青年のために、岩永は江戸時代の事件を合理的に解決しなければならない。しかも事件には岩永が救った雪女が関わっており──。

 江戸時代に一世を風靡した理詰の剣術「無偏流」とその奥義の「しずり雪」。こういった架空の歴史にまつわるストーリーと聞くと、城平のかつての傑作『鋼鉄番長の密室』を反射的に思い出してしまうが、流石に今作では『鋼鉄番長』ほど嘘の歴史が野放図に展開されない。むしろ剣にまつわる人間たちの運命には、しっとりとした印象を受ける。

 しかしながらこの短編、読んでいて城平の過去作品を想起させる要素が意外と多い。

 たとえば事件の解決シーンにそれらは表れている。
 青年のために、岩永は事件を説明する二通りの仮説を提示する。
 この多重解決はデビュー作『名探偵に薔薇を』に始まり『鋼鉄番長』を経て、そして『鋼人七瀬』まで続く城平の得意パターンであり、今作でもその手腕が発揮されている。
 一つ目の解決は雪女など怪異の存在を否定し、事件に合理的な筋を通す従来のもの。詭弁すれすれだが筋の通った仮説が楽しく、特に死の直前の言葉の解釈は強引ながら細部まで気を使っており、したたかだ。 

 そして岩永の第二の、本命の解決。ネタバレを避けるため曖昧な言い方となってしまうが、そこに表れるのはある人物の思慕と苦悩、そして悲恋の顛末。この叶わぬ恋をめぐる物語も代表作の『スパイラル』や水野英多と再タッグを組んだ『天賀井さんは案外ふつう』など、城平が好んで書いてきた題材である。 

 と、同時にこの二番目の仮説では、いかにもミステリらしい「理によって支配された世界」として謎が解決されるのではなく、人間たちが懸命に生きようとした結果生まれた「ドラマ」によって謎に筋道がつけられる。

 この時、思い出されるのは城平の隠れた傑作ヴァンパイア十字界である。

 

 


 『ヴァンパイア十字界』とは、『スパイラル』と『スパイラル・アライブ』に次いで城平京が原作を担当した漫画で、城平の作品でもかなりマイナーな作品と思われる。
 かなり独特なストーリーで、物語の序盤は吸血鬼とヴァンパイアハンターの対決を軸に展開していた物語だが、途中から意表を突く展開が起こり(本当に誰も予想できないと思う)、地球に危機が迫る。この危機を回避するため人間と吸血鬼が結託し、吸血鬼の過去の秘密を追う話へとシフトしていく。
 人間たちは吸血鬼に関する謎を探るが、そこでは繰り返されるどんでん返しによって、真実は二転三転する。
 この謎を扱う手つきや状況設定にはミステリの匂いが濃い。しかしミステリ的な不可思議な状況やホワイダニットを扱いながら、謎に筋を通すのは名探偵の示す解決ではなく「ある者が何を求め、何を為そうとしたか」という生き様である。
 城平はあくまでミステリ的な理を前提としながら、登場人物たちの過酷な運命、そこで下される選択を真摯に描き、物語を高めていく。
 「理と情」を両立させる、この技術によってミステリを読んだ時の興奮、それに上質なファンタジーの喜びの両方が味わえる。マイナーながら熱狂的なファンをネットで見かけるのも納得な出来の、城平の隠れた傑作であり、そしてこの技術が今回の短編にも発揮されている。
 『ヴァンパイア十字界』と同じく「過去に何が起こったか?」という謎は一人の男をめぐる悲劇へと結実し、さらに最後には「シリーズのお約束やぶり」というサプライズまでが飛び出す。
 「雪女のジレンマ」に登場した雪女たちのその後が描かれているのがまたうれしく、そして過去に反して物語を現代の幸福な男女の姿を匂わせて終わることで過去の悲劇まで昇華されるようだ。
 と、いうわけでこの短編は予想もしなかった、城平がこれまでのキャリアで培ってきた嗜好性やテクニックを詰め合わせたような集大成の如き作品であった。

 城平の書くミステリの世界は、論理が支配する世界とは違う。人間の行動は必ずしも論理的に決定されるのではない。そこには感情であり、時には狂気のような情念によって人は支配される。それを踏まえた上で、名探偵たちはあくまでも論理の力によって人の姿に肉薄しようとする。その律儀さというか、潔癖さが城平のミステリだという気がする。
 虚構推理はアンチミステリでありながら、そういった城平京の「らしさ」に満ちている。地味ではあっても、決して志は低くない。斬新なトリックがなくとも細部まで抜かりなく手の行き届いたミステリだ。
 そしてそういう作品が自分は好きだ。オススメである。

 

*1:余談だが、短編集のタイトルの元ネタがブラウン神父だと、この『純真』を手にしてようやく気づいた。

*2:2011年に刊行されたシリーズ第1作の小説『虚構推理 鋼人七瀬』が2015年にコミカライズされ、それが完結した2017年からはシリーズの新作が漫画(新たな原作を城平が書き、片瀬が作画する)として連載されている。
 なので元々は小説のコミカライズ作品だった漫画版が、ある時点から小説版に先行し、むしろ小説の方が「漫画のノベライズ作品」となる逆転現象が起こっている。