陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『ナイルに死す』アガサ・クリスティ

 

ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

ナイルに死す (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

 エジプトの地に、多くの旅行客が訪れている。
 境遇も生活も異なる様々な旅行客の中で、最も存在感を放っているのは若き大富豪、リネット夫妻だ。
 美貌と財に恵まれた若きリネットと、リネットに見初められ大金持ちの仲間入りをした幸運なサイモン。二人はハネムーンの途中でエジプトに寄り、ナイル川を遡る客船に乗って旅を続けるつもりだった。
 幸せの絶頂にいる二人だったが、異国の地で二人を待ち受けていたのはジャクリーンという若い娘であった。
 実はこのジャクリーン、かつてリネットの親友であり、サイモンの元婚約者だった。リネットは親友の恋人と知りながら、サイモンを奪い取ったのだ。
 ジャクリーンは復讐のために、二人の行く場所に先回りして現れる。この行為に憔悴したリネットはたまたまエジプトで出会った世界的な探偵、エルキュール・ポアロにジャクリーンを説得するよう依頼した。ポアロはジャクリーンと話し合うが、復讐に心を奪われた娘は次の日もリネットたちと同じ客船に乗り込んでくるのだった。
 問題の火種を抱えたまま、船はゆっくりとナイル川を進んで行く。
 そして、ついに一発の銃声が船に鳴り響く。
  
 この直前に読んだABC殺人事件と比べると、『ナイルに死す』のテンポはとてもゆったりしている。前述のあらすじのあと、死体が発見され、事件が本格的に始動するまで250ページほどかかる。文庫本で570ページのうち、約半分が事件の前奏となっている計算だ。そして約250ページの間、乗客たちの人間関係や観光名所の描写がずっと続く。このゆっくりとしたペースが、本書の大きな特徴だ。

 たしかに物語の進みは遅い。しかし、クリスティの筆運びは余裕綽々で、物語がダレることはない。
 リネットがジャクリーンについてポアロと話し合う、なんてことのない場面でも面白い。全てに恵まれていて、そのせいか傲慢な態度をとりがちなリネット。そんなリネットに、抜群の頭脳を持つポアロは彼女が隠したがっている心理を鋭く指摘し、ささやかに反撃する。そしてリネットの金になびかず、自身の信念に従ってポアロはジャクリーンと対話しようとする。このシーンのポアロはかっこいい。
 さらに観光名所巡りのシーンが続きながら、会話を盗み聞きする怪しい影、不自然な事故、外国のスパイ騒動など、合間に物語を引っ張る不穏な謎を配置し、読者が退屈する暇を与えない。

 さらにさらに、安定のストーリーテリングの腕を見せ付けながら、クリスティはそこに仕掛けを施すのだ。この二百ページほど費やした旅行話に、のちの事件の下地や伏線が周到にしこまれている。
 本作で使われるトリックは人間の心理の隙をついたものだが、さらにいくつもの人々の思惑が交差し、複雑な模様を描く。船で偶然居合わせた人間たちの心理が伏線となり、ここで前半の人物描写が大きな意味を持つ。
 この謎に対し、ポアロは「なぜ、犯人は拳銃を捨てなければならなかったのか?」という疑問、そしてある人物の口にした、何気ない言葉を突破口に人間関係の糸を解きほぐしていく。
 事件が解決した後に待っているのは、言いようのない無常さだ。真犯人は多くの命を奪ったが、その犯人の語る言葉にポアロ=読者は哀れみを感じてしまう。邪悪な感情に心を支配され、取り返しのつかないことをしてしまった犯人のために、ポアロは最後にある選択をする。
 この場面で自分は名探偵コナンのある有名なセリフを思い浮かべた。コナンならば決して選ばないことを、ポアロはあえて選んだ。そのことによって悲壮感がより際立っている(また、『ABC殺人事件』の犯人へのポアロの反応と比較しても面白い)。
 そして大作のラストをクリスティは「問題は未来であって、過去はどうでもいいのである」という文章で締めくくる。
 この言葉を未来へ向かっての前向きな言葉として捉えることもできる。しかし自分には事件の無常さを表した、儚い言葉に感じられる。
 何人もの命が失われ、血が流された。それもいずれ忘れ去られ、消えていく。
 本書は大作であり、それに見合ったゴージャスさも持っている。だが、本書を忘れがたいものにしているのは、ラストで見せるクリスティの達観したような視線にあるのかもしれない。