陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

怪! 怪! 蝿男の正体!『蝿男』海野十三 

 

 

 日本SFの父と呼ばれた、海野十三の初長編作品。SFというジャンルが確立されていなかった時代に、海野は科学小説として科学をテーマにした作品を発表した一方、「新青年」などの雑誌に変格探偵小説を書いていた。本作もその一つであり、神出鬼没で連続殺人を繰り広げる怪人・蝿男と名探偵の対決を描く。

 大阪の町で、「蝿男」と名乗る男からある大富豪へ殺人予告状が送りつけられる。警護の警察たちを嘲笑って、予告通りに蝿男は標的の首を吊って殺害した。被害者の部屋は密室で、一升枡ほどの大きさの通風口が空いているだけだ。しかも遺体は十二尺(約3.6メートル)ほどの高さの天井から台も使わずに吊るされていた。蝿男はどうやって部屋に侵入し、被害者を吊るすことができたのか。
 この神出鬼没の怪人に、偶然東京からやってきた名探偵、帆村壮六が立ち向かう。

 まず、かなり勢いのある語り口が魅力的だ。町中を覆う煙の匂いに導かれ、帆村が死体を発見したかと思えば、蝿男によって警官共々マシンガンで襲撃される。序盤からスピーディな展開と勢いのある語り口で、物語は一気に動き出す。講談を思わせる前口上も愉快だ。
 そこから密室殺人まで起きて、怪人・蝿男の怪奇性や不可能犯罪の謎についての期待が否応にも高まる。 
 ところが話が進むにつれ、物語は徐々におかしな方向へ向かう。ミステリや怪奇冒険譚の趣が薄れ、その代わりにユーモアや滑稽さが色濃く文章に表れてくるのだ。

 読み進めるにつれ、物語の舞台となる「グレート大阪」は現実の大阪とはかなり違うものだと気づく。そうして現実との乖離が起こるたびに物語自体のリアリティが薄れ、エキゾチックで猥雑で、滑稽なものになっていく。
 たとえば大富豪の父を殺された娘のセリフはかなり変だ。
「おおお父つぁん。誰かに殺されてやったか知らんけれど、きっと私が敵を取ったげるしい。迷わんと、成仏しとくれやす。南無阿弥陀仏。──」
 この大げさなセリフを見て分かる通り、海野十三が描くのはリアルな大阪の姿ではない。主人公の帆村にとって、この町は本来の大阪とは違う「不思議の国」のようなものだ。
 『蝿男』の大阪が現実離れするほど、物語はユーモラスになり、滑稽さを増していく。
 シャーロックホームズをモデルにした名探偵・帆村壮六も妙に垢抜けない。しかしそれも仕方がないのだ。彼はこの不思議の国・大阪に迷い込んでしまった人間なのだから。そこで帆村がまじめに頑張るほど、繰り広げられる大冒険は必然的に滑稽になっていく。

 ハイライトは怪人・蝿男とのチェイスシーン。蝿男の乗った車を追いかけバイクで疾走する‥‥‥というとカッコ良さそうだが、実際に帆村が乗るのは味噌の配達に使われていた三輪バイクであり、荷台には味噌の壺と配達のニイちゃんが乗ったままだ。しかも帆村はどてら姿。帆村と配達のニイちゃんが猛スピードで宝塚の町を駆け巡りながら交わす会話など、アホらしすぎて素晴らしい。
「こんなんやったら、あの子の匂いを嗅ぎたいばっかりにフルーツポンチ一杯で利太郎から宝塚まわりを譲ってもらうんやなかった。天王寺の占師が、お前は近いうち女の子で失敗するというとったがこら正しくほんまやナ」

 帆村と蝿男の攻防は読んでてとても楽しい。電話で帆村が蝿男をからかう場面もおかしくてニコニコしてしまう。
 さらに最終決戦で蝿男の罠によって帆村がおびき出されるのが、温泉プール。砂風呂で繰り広げられる怪人との死闘、そして帆村逆転の一手など、もはやコントみたいだ。
 一方、ユーモアに満ちた物語の中で、蝿男の正体はかなり陰惨でグロテスクだ。人間の可能性を追求しようとする奇抜なアイデア、それを実行してしまう倫理観の欠如。これらの科学的ダークサイドから生み出されたのが蝿男だ。その禍々しい姿には、科学に対する海野十三のシビアな視点も感じられる。

 事件が解決した後、東京への汽車に乗ろうとする帆村を警察官が総出で見送る。そして餞別として検事が持って来たのは、なんと《岩おこしで作ったウエディングケーキ》。これには衝撃、爆笑。ここまでくると拍手喝采、ほんとうに素晴らしい。
 すべてが丸く収まり、名探偵は警察官たちの万歳三唱で送り出される。圧倒的なハッピーエンドに、これまたニコニコしてしまう。

 物語の多少の傷なんていいじゃないかと思わせる、古き良き探偵小説だった。