色々と感想文
本や映画についてのざっくりとしたメモ。
『日本列島』熊井啓 日活
日本で暗躍するアメリカのスパイ組織について探る社会派サスペンス。
こういう映画に日活のスター、二谷英明が出ているのは珍しい気がする。
真摯に作っているが「上層部の私欲に無垢な下層の人たちが痛めつけられる」というストーリーは定型的で、ちょっと弱く感じる。
スパイ組織を操るアメリカ人の横に、突如現れるのが大滝秀治。その異物感がすごい。この人が演じる涸沢は下山事件で工作も行なった男で、セリフは一切なく、その異様な風貌だけでも圧倒的な存在感。元スパイの葬式で、謎を追う宇野重吉と二谷がこの大滝と交差する一瞬も渋い。
『われらのゲーム』ジョン・ル・カレ
後期のジョン・ル・カレの作品では物語のテーマがプロパガンダになりかけているのでは、という気がする(といっても全作読んでいるわけではないので、不正確な分析だが)。例えば『サラマンダーは炎の中に』ではアメリカの外交政策への強い非難があり、それが「ちょっとあんまりじゃないか」と思わせるラストにつながった。「冷戦までのル・カレが好き」という人も多いのはそれが理由ではないか。
本作の主人公、冷戦終結でリストラされた元スパイのクランマーは自分の部下だったラリーに裏切られる。元の職場や警察からも追われ、しかも自分の愛人さえも寝取られてしまう。当然、クランマーはラリーを憎み、姿を消したかつての弟子の追跡にとりかかるのだが、いつしかその憎しみが変化する。
物語が現在と過去を行ったり来たりする間に、裏切り者を追うための理由が希薄になる。クランマーがラリーを追跡するのは自分の無実を証明するためでも愛人を取り戻すためでもない。維持や執念のためでさえない。自分と過去も罪悪も共有した片割れに再会するために、クランマーはロシアの奥深くにまで向かう。ラリー逃亡の顛末がわかった際、クランマーは行くべき場所を失ってしまう。
大国による少数民族の弾圧というのが一つのテーマであり、ル・カレは弾圧を厳しく非難する。しかし一方で弾圧する側のロシアのスパイ、ゾーリンについて作者はかなり同情的に描いている。
病で死にかけた女の手を握りながら、ゾーリンはこう話す。
「われわれは人を撃った。大勢の人を。なかには善良な、撃たれてはならなかった人もいる。見下げ果てた外道で、十ペん撃たれても足りなかったのもいる。ではきくが、神は今日までに人を何人殺した。なんのために殺した。神は毎日毎日、理由もなし、説明もなし、憐憫も無しに、不当に人を殺しているじゃないか。こっちはただの人間だ。それでも理由ぐらいはあったぞ」
ゾーリンの言葉は開き直りとも取れるが、強く印象に残る。こうして血の通った人間によって、プロパガンダに寄りかかった物語が薄っぺらなものにならない。
『元年春之祭』陸秋槎
過去の一家惨殺事件と現在の連続殺人が絡み合い、しかもその一つはある種の密室殺人とも言える状況という魅力的なストーリー。中国産のミステリーというのは読むのが初めてだった。
本作には中国の漢詩や宗教についての話がふんだんに出てくる。で、それらについて自分は興味が持てなかったので読み飛ばし気味に軽く読んでいたが、これが失敗だった。
ネタバレになるので詳しく書けないが、もしここら辺の描写や会話をもっと注意深く読んでいれば、今作の結末をより面白く読めただろう。
ちなみに本作には百合の要素もあるが、あまり自分の好みではなかった。
『妖異金瓶梅』山田風太郎
トリック自体はそれほどだが、特異なキャラクターでグイグイ読ませ、そして「赤い靴」のラストで作者の狙いがわかり、アッと言わされる。
ミステリーとしてはちょっと緩いところもあるが、何よりキャラクターの魅力によって読ませる。欲まみれの人間たちの中で、特に絶世の美女でありながら冷酷さと狡猾さをも併せ持つ潘金蓮という怪物のような女。この女が終盤に見せる覚悟。盛者必衰の虚しさと儚さが表れたラストシーンには切なささえ感じられる。
というわけで、今年も終わり!