陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『競輪上人行丈記』西村昭五郎(1963/日活)

 

競輪上人行状記 [DVD]

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  • 出版社/メーカー: Happinet(SB)(D)
  • 発売日: 2013/05/02
  • メディア: DVD
 

 この映画のラストは衝撃的だった。直前の展開からまさかあのようなラストに繋がるとは思わず「えっそうなるの!?」とびっくりした。

脚本は今村昌平大西信行。そして監督はのちに「団地妻 昼下がりの情事」を撮る西村昭五郎。これがデビュー作だ。

 

 中学校で教師をしている春道(小沢昭一)の実家は寺。兄の葬式のために実家に戻った春道は父親(加藤嘉)に教師を辞めて寺を継げと言われるが、寺の因習がいやで家を出た春道は首を縦に振らない。ただし「兄嫁(南田洋子)と結婚してもいい」と言った時は、兄嫁に密かに心焦がれている春道は一瞬迷うような表情を見せた。

 ともかく学校が夏休みの間は寺を手伝うことになり、にわか坊主として春道は実家に滞在する。その間にも義理の親の元を逃げ出した教え子(伊藤サチ子)を連れ戻したり、住み込みで働ける場所を探してやったり、忙しい。

 寺では本堂再建のための檀家廻りの集金が主な仕事だった。家々でいいようにあしらわれ、春道のプライドはズタズタ。ふと目に入ったのは競輪場の熱気。フラフラとそこに入った春道は見よう見まねで買ったレースで大当たりを出してしまう。檀家廻りで得た金よりもはるかに高額な金に春道は得意げだ。そこから春道は競輪場に通うようになるのだが‥‥‥。

 

 この映画に出てくる坊主はとても生臭い。金のために葬儀屋と癒着し、人が死んだら葬儀の段取りを他の寺と取り合う。貧乏な家の葬儀で夕飯をもらいながら、「この芋は赤土くさい」と平気でけなす。そういった生臭い寺の実態に春道は嫌気がさし、家を出て自立の道を歩もうとした。

 しかし後継のいなくなった寺のため、妖怪のような風貌の父(加藤嘉)は息子の退職届を勝手に出して春道に無理やり跡を継がそうとする。

 憤慨する春道だが、それでも寺から出て行こうとしないのは思い焦がれる兄嫁がいるからだ。兄嫁役の南田洋子は薄幸の美人といった見た目と裏腹に、供養をするといって引き取った犬の死骸を肉屋に卸し、寺の建て替え資金にするようなしたたかさもある。夫が死んでからも意地のように寺の再建を目指し、身を粉にする兄嫁に、春道は寺を継ぐ決意をし、さらに結婚を申し込む。

 しかし、兄嫁にはある秘密があった。

 

 本作の白眉は小沢昭一である。自分にとってこの人は芸達者なコメディリリーフの人という印象だったが、本作の主役はこの人しかいないという存在感がある。

 小沢昭一演ずる春道は青臭さくてプライドが高い。「葬儀坊主」と父をバカにし、金と坊主の結びつきを批判するが、実際にどうやって改革したらいかわからない。父や兄嫁のたくましさに対し、春道はあまりにも世間知らずだ。

 予想を超える寺の現実に揉まれてプライドを傷つけられ、ふと競輪の紛れ当たりから博打に狂い、どんどん転落していく。そしてトドメに兄嫁の秘密が明らかになった時、寺に一人だけ残った春道はギャンブルの世界により一層はまっていく。

 ついには競輪のノミ屋に借金をして寺の権利書を取り上げられるまで堕ちていく春道は、しかし寺の売値と借金の差額分をもらい、最後の大勝負に向かう。この時の競輪場を歩く小沢昭一はどこか虚無感が漂っていてかかっこよく見える。

 

 競輪場でベンチに座った小沢昭一は、ふと隣の女の腰に繩が巻いてあるのに目が止まる。

「それは何かのおまじないですか?」

「他のレースに賭けないようにしてるの」

 他のレースを買わないように座席に自分をくくりつけた、春道と同じくギャンブル狂いの女(渡辺美佐子)は第七レースが勝負だという。そこに有り金全部賭けるのだと。春道も七レースに賭けるつもりだった。

第六レースの寸前、女は決意を破り、必死で縄を解いて券を買いに行こうとする。それを春道は止め、励ます。「あと一つで第七レースです!」

 有り金全てをかける二人の勝負。春道は2−4、女は4−2の一点勝負。第七レースは奇しくもこの二車がほぼ同時にゴールに滑り込んだ。

 写真判定を待つ嫌な時間、待っているあいだの緊張感に見ているこっちも手に汗握る。このシーンには博打の興奮、恐怖、滑稽さも物悲しさも詰まっていて、名シーンだ。

 

 ギャンブルで落ちぶれた春道を周囲の人々は見限っていくが、唯一そばに残ってくれるのはかつて教え子だった中学生だけだ。彼女は義父からの暴行により妊娠し、さらに義父の命令で住み込みで働いていた銭湯の金を盗んで逃亡。主人公と同じくどこにもいくあてのない人間だ。

 彼女がどこまでも落ちていく主人公の最後の還る場所となる。ここらへんは少し甘い気がする。だが、この甘さもラストで気にならなくなる。

 ギャンブルと借金、それに寺と兄嫁の醜い実像によって地獄めぐりを果たした主人公は、突如として「競輪上人」として生まれ変わる。その変貌はバカバカしく、しかしどうしようもなく鮮やかだ。そのそばには道連れとなった女の子もいる。

  生きる苦しみの果てにたどり着いた、ギャンブル中毒も家柄もコンプレックスも飛び越えるすごいラスト。小沢昭一のラストの説法は阿呆らしいが、しかし泣ける。黛敏郎の音楽が効果的だ。     

 春道の元に競輪場の人々が群がる様子は、主人公が望んだ仏教の姿なのかもしれない。その中心で取り憑かれたかのように春道が説教している。観客はその変化に圧倒され、胸を打たれる。