陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『さよならに反する現象』乙一

 

 

 とりあえず装丁が美しい。表紙に描かれた奇妙な図形たちが見る角度によって妖しく光って見せる。

 たぶん2016年から2020年まで、様々な雑誌に掲載された短編を集めた短編集(ただし、「怪談専門誌幽」に掲載された短編は、いつ掲載されたか表記されていない)。
 掲載誌の関係か、全体的にホラー系統の作品が多い。

 

「そしてクマになる」
 リストラされた父親が家族に内緒でクマの着ぐるみのアルバイトを始め、やがて本当のクマになろうとする。乙一版「山月記」ともいえる(?)作品。
 ラストは一応ハッピーエンドだが、ちょっと不穏に感じる終わり方でもあった。最初に妻と息子が男といっしょにいるのを目撃した時、あれは本当に白昼夢だったのか。そこに一度疑いを持つと、あまりに物わかりの良い妻も嘘臭く感じられる。
 終盤、風船が木に引っかかっているのを主人公が発見する。これは主人公が四足で走り出した時に手放した風船だが、では主人公がクマのように走り回ったのは本当の出来事なのか。すると周囲の人たちの反応がなさすぎる(着ぐるみのクマが走り回るのに騒いだり注目する様子がまるでない)のも気になる。一体、白昼夢はどちらなのか。というかそういうひねった作品なのか。単に愛情が勝利したというラストだと解釈すれば良いのか。
 意外と奥深い作品なのかもしれない。


「なごみ探偵おそ松さん・リターンズ」
 これは非常にイマイチ。元ネタになったアニメを知らないとあんまり楽しめないと思う。
 乙一の理性的でテンション低めの文章とドタバタ喜劇の展開があっていない。乙一にはこういうのよりもオフビートな脱力系のユーモアが似合う。
 「部屋の鍵が凍った池の下に沈んでいる」という密室ネタは魅力的だが、あっさり種明かしされてしまうのでこれもイマイチ。
 ラストにはアンチミステリを意識したような展開で少し面白くなるが、振り切っていないのでミステリとしての弱さはいなめない。


「事件を解決するよりも大事なこと、それは、みんなが笑顔でいることなんだなと気付かされる」


 という主人公の述懐は面白かった。これはラストの伏線にもなっている。


「家政婦」
 この短編から乙一の本領発揮。
 主人公の家政婦が赴任した屋敷には、眉目秀麗な小説家とその息子、そして幽霊がいた。
 <近所で死んだ者たちの、魂の通り道になっている屋敷>という設定がユニークで、後のミステリ部分や真相の伏線となっている。
 心霊が身近にいる奇妙な生活の描写から、誘拐被害者の霊の出現によって事件に巻き込まれる展開がスムーズで秀逸。
 主人公の家政婦は、事あるごとに周囲の男たちとの恋愛や玉の輿に乗るのを妄想しているような人物で、この俗っぽさが物語にユーモアを与えている。こういうキャラは昔の乙一作品でもよく見られた。

 また、この作品は文章が素晴らしい。端正で過不足なく、どことなく体温が低い。「なごみ探偵ー」ではミスマッチだった文章のテンションが、この作品ではマッチしている。
 そしてラストの一文がなかなか怖い。死を目前にした人間と幽霊との間には境目など存在しないのかもしれない。


「フィルム」
 星野源の楽曲を元にした掌編。
 乙一の描く「コミュ障で人生うまくいっていない人」はいつだって素敵だ。
 未来を映すフィルムと、幼馴染の少女。
 短い中で起承転結がしっかりしている好編である。少女とのやりとりを通し、徐々に主人公の境遇が明らかになっていく。そしてラストには、穏やかな希望が残される。
 ダメな自分の今の境遇が、未来の誰かのためになる。そういった希望のあり方が素晴らしい。


「悠川さんは写りたい」
 心霊写真を作るのが趣味である男が、交通事故で地縛霊となった女に取り憑かれる。
 この幽霊(写真に写ることができない)のために心霊写真をでっちあげ、浮気していた元恋人に復讐して恨みをはらしてあげようとする話。
 この女幽霊があざといけど可愛らしい。特に「あはー」という笑い方があざといのだが、こういった要素がないと境遇が不憫で物語が重くなりすぎるので、結果的にちょうど良い塩梅になっている。

 そんな幽霊が取り憑いた相手は、就職にうまくいかず、心霊写真を偽造して投稿するのが生きがいの冴えない男。そんな男が明るい幽霊に振り回される。
 幽霊と一緒に服を買ったりカフェに入ったり、ほとんどデートのような場面も楽しい。
 中でも幽霊に教えてもらいながら肉じゃがを作る場面が仄かな温かみを感じさせて良い。


「味付けは、悠川家のものですけどね」

 

 とはいえこの主人公、冴えないふりして実は大学に慕ってくれる女の子がいると後で発覚し、ちょっと裏切られた気分になるのだが。

 死んだ家族たちと幽霊ならではの再会を果たし、心温まる話で終わりそうなところを最後の最後に意外なオチが待っている。
 想像の余地を残すラストは、幽霊が本当のところでは人間の理解を超えた別世界の存在であることを感じさせる。


 本書をホラー系の短編集だからと、ドス黒い作品が多いかと予想しているとそういう作品は意外とない。

 むしろ「フィルム」や「悠川さんは写りたい」には、過去の「しあわせは子猫のかたち」や「手を握る泥棒の話」のような、いわゆる<白乙一>と同じエッセンスが感じられるほどだ。

 ホラーといっても、乙一の作品の根底には人間への優しさと肯定がある。
 それでも、結末ではきっちりと恐怖を残す。乙一らしさとホラーのツボを両立させた、良い短編集だった。