『春琴物語』(1954 大映東京/伊藤大輔)
映画が始まると、画面には「第二回東南アジア映画祭 ゴールデンハーヴェスト賞 受賞」という言葉とトロフィーが映し出される。これは大映の永田雅一が香港ショウ・ブラザーズと発足したコンペで、現在でもアジア太平洋映画祭として存続しているようだ。こんな映画祭があったとは初めて知った。
谷崎潤一郎の『春琴抄』を原作に、巨匠・伊藤大輔が撮った文芸映画である。スタッフも豪華で美術の木村威夫、音楽に伊福部昭など後に名の知られる人たちも多く参加している。
明治時代を再現した美術も力が入っていて、見応えがある。着物から洋服、行灯からランプ、自転車はドレスを着た夫人など、明治の文明開化の有様が感じられてるのが面白い。
ちなみに、本作は大映京都ではなく大映東京で撮影されている。理由は「純粋な明治ものをつくるため」らしいが、当時の京都撮影所に不足があったのだろうか。ここらへんの事情はよくわからない。
冒頭、奉公のために商家に連れてこられた幼い佐助は、商家の娘であるお春(春琴)を見かける。手を引かれたお春が画面奥の戸を通って消えていくのを呆然と見送る佐助の後ろ姿には、運命の恋が始まった瞬間を感じさせてワクワクさせられる。しかしそれをナレーションで説明してしまうのはちょっとくどい。
成長したお春は盲目だが美貌と琴の才に恵まれた。お春は佐助のことを大層気に入り、琴の習い事に行くときにはいつも佐助を付き添わせた。そのうち佐助に三味線の才能があることに気づき、お春は親に頼んで佐助を自分の弟子にしてもらう。こうしてお春と佐助は主従関係にありながら、師匠と弟子の間柄になった。佐助にとって、密かに慕うお春にこうして仕えるのは何よりもの喜びだった。
やがてお春は琴の師匠から免許皆伝をいただき、師匠の名をもらって「春琴」と名乗るようになる。
春琴と佐助は周囲から結婚を望まれるが、本人たちはそれを拒否して主従関係を維持しようとする。
春琴が佐助に三味線を教えて師弟関係を望むのも、家庭を持つよりも自分が主人で佐助が下僕という関係の方が尊いと考えているからだろうか。ここらへんは映画を見ていて少しわかりにくかった。こういったところに谷崎潤一郎の「自虐による愉悦」が表れているのかもしれない。
高熱で倒れた春琴が佐助に介抱されている。佐助が寝汗を拭こうと春琴の着物の裾に手を入れると、春琴が「灯りがまぶしい。消して」と頼んでくる。要するに誘いの言葉だか、そのことに気づいた佐助は息を飲み、意を決してランプの明かりを消して襖を閉める。直接的な描写はないが、このシーンはなかなかにエロい。
こうして佐助の子供を身ごもった春琴だが、父親が誰であるかは決して明かそうとはしない。沈黙を守り続けるうちに子供は生まれ、親の知り合いに預けられるが、幼いうちに死んでしまう。
子供が死んだことへの悲愁が軽く流されてしまうのに違和感があるが、この子供がラストでもう一度意味を持って来る。
琴の教室を開くようになった春琴の元に、商売で成り上がった利太郎が頻繁に訪ねて来る。利太郎は春琴に下心を持ち、そのため自分の新築祝いにと春琴を誘い、琴を演奏させる。
ここで主演の京マチ子も花柳喜章も見事な演奏を披露する。この映画には俳優達が舞や琴や三味線を当たり前のようにこなすシーンが数多くあるが、こういうシーンを見ると当時の俳優たちのスペックの高さに驚かされる。これは今の俳優のレベルが下がったというよりも、当時と今では映画の観客の求めるものが変わったということかもしれない。
道を行く人たちが思わず足を止め、振り返るような抜群の演奏をする春琴を、下心を持つ利助が食い入るように見つめる。それを遠くから眺めていた女が「ボンもイカもの喰いねえ」と笑いながらいう。あまりに無邪気に投げつけられる侮辱の言葉に、当時の盲目の人に対しての差別意識がよくわかる。
利太郎の誘いを厳しくはねつけた春琴は、ある事件のせいで顔面に大火傷を負ってしまった。火傷でただれてしまった顔を佐助に見られたくないと泣く春琴のため、佐助は自分の目を針で刺す。
自分は原作小説でもこの場面が苦手で仕方なかったのだが、映画でもこのシーンは怖い。とにかく怖い。目の位置を鏡で確認し、落とさないように針に通した糸を指に巻きつけ、黒目に突き刺す。そういったディティールにも寒気がするし、徐々に暗くなって見えなくなっていく過程もゾッとする。
目を潰してからの展開は蛇足の感もあるし、禍々しい愛の告白の凄みも少し薄められてしまった気もするが、ここには不幸な二人に最大限の救いを差し伸べたいというスタッフの気持ちが表れているのかもしれない。
が、そのあとのシーンに少し心を打たれた。
それは春琴の幼くして死んだ子の墓参りをするため、二人が佐助の故郷にやって来る場面だ。二人を出迎えようと店から佐助の父と母が店から出て来る。このなんてことのない、ごくごく短いシーンに不覚にも感動してしまった。
年老いているが、見るからに人の良さそうな父母が「はやく、はやく」と言いながら店から出て来る。父は久しぶりの息子の顔をじっくり見るために、あわててメガネを探している。そういった二人の様子からは、善良さを感じるが、その善良さはどこまでも普通のものだ。自分は、その普通さにホッとしたのだ。
周囲の差別的な目にひるまず、盲目の人間が二人、寄り添って生きていこうとする。そういった春琴と佐助のことを、老いた父母のような普通の人たちが暖かく出迎えてくれる。そのことに良かったなあ、本当に良かったなあと、こちらも二人の行く末を祝福したい気持ちになってきた。