乙一の作品あれこれについて
『銃とチョコレート』
昔から乙一はかなり読んでいたのだが、なぜかこの作品だけは未読でほったらかしになっていた。
で、改めて読んでみると二転三転する展開に周到な伏線と、よくできた物語だった。
怪盗と名探偵の対決、それに少年の冒険など、どこか懐かしい物語だが、それだけで終わらないのがさすが。物語はツイストを決めて予測不能の方へ走り出す。主人公の少年よりも財宝を狙う町の不良少年や名探偵の方が生き生きとして、たぶん作者はこっちを書く方が楽しかったのだろう。
思いっきり続きがありそうな終わり方だが、本作で完結しているのが残念だ。
『箱庭図書館』
素人の応募した作品を乙一がリライトするという企画の本。この作品の後から、なぜか乙一をあまり読まなくなった。
原因はなんだろうと思い、改めて読み返してみたが、作品自体に何となく中途半端な印象が残った。アマチュアの小説を基にしたことが、どこか足かせになっている気がしなくもない。
ただ、周囲と馴染めない高校生の恋愛を描いた「青春絶縁体」なんて、後の中田永一名義の作品の先駆けにも見えるし、「ホワイト・ステップ」なんて悪くない。みるべきところはある。あるのだが、どこか物足りない。どうも自分の求める「乙一」らしさが希薄に感じるのだ。
では、その乙一らしさとはなんなのか。
『メアリー・スーを殺して』
四人の作家によるアンソロジー。だがその作家たちは乙一、中田永一、山白朝子、それに越前魔太郎と、全部同一人物というユニークな短編集だ。
名義が変わるごとに作風も違っており、乙一がいかに器用な作家というのがわかる。それにしても越前魔太郎、懐かしいな。乙一が書いた(らしい)「ウォーキングのW」と舞城王太郎の書いた「デッドドールのダブルD」は読んだなあ。入間人間が書いたらしい「ウォーキングのW」も読みたいが、いまでも手に入るだろうか。
四つの名義の中では、自分はやはり乙一の作品が好きで、次に山白朝子(特に「ある印刷物の行方」)、中田永一は自分の好みからは少し外れる感じだ。
いじめ問題と血のこびりついた金属バットの不穏さ、または主人公のキャラは乙一の過去作品を想起させ、懐かしい気さえしてくる。それでいて携帯電話の血をめぐる謎は意外なほど本格ミステリ。そして主人公たちの逃避行の果ては苦く、切ない(ただし、ちょっと主人公がかっこよくなりすぎ)。
大変満足のいく作品だったが、しかしこれを読んでふと思った。自分は今だに「GOTH」を求めているのではないか。結局自分が求めているのは「GOTH」らしい作品、ただそれだけではないのか。だから中田永一の作風にはあまり心惹かれないのではないか。
乙一が作風を進化させ続けているのに対し、自分だけが取り残されているような気がする。