陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

自分とは無関係だと誰が言えるか『春にして君を離れ』/アガサ・クリスティー  

 

 

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

春にして君を離れ (ハヤカワ文庫―クリスティー文庫)

 

 

 そういえば、初めて読んだアガサ・クリスティーの作品は何だったろう。たしか小学生の時に読んだポワロの短編で、覚えているのは牡蠣がトリックに使われたことだけ。それなりに面白かったはずだが、それからクリスティーにはほとんど触れていない。『そして誰もいなくなった』も『ABC殺人事件』も読んでいない。『アクロイド殺し』は大昔に読んだはずだが、あの世に名高いトリックの衝撃しか覚えていない。自分にとってクリスティーとは、その程度の存在だった。

 だが、最近になって急にクリスティーが読みたくなってきた。 そのきっかけとなったのが、知人に紹介された『春にしてきみを離れ』だった。これはかなり面白く、他の作品も読みたいと思うほどだ。

 しかし、この面白さははどこからくるのだろうか?  

 今作のストーリーを解説すると、病気の娘を見舞いに行った老婦人・ジョーンがイラクの砂漠に滞在し、自身の過去を回想するという、それだけ。展開としては非常に地味だ。さらに、この作品のキモとなる秘密も意外とすぐにわかる。というよりクリスティーはこの部分について、あまり隠そうとしていない気がする。あからさまに書いている。そのため、意外性はあまり感じなかった。  

 大きなイベントも起こらず、物語は予想の範疇を出ない。そんな物語が、決して読んでいて飽きることがない。主人公が秘密に気付いた時はハラハラするし、ラストシーンには強い衝撃さえある。この作品の、いったい何がすごいのだろう。

 月並みだがやはり、クリスティーの筆力がすごいということなのか。 ジョーンとロドニー夫妻をはじめ、三人の子供たちのキャラクター造形、含みのある会話、的確な心理描写と伏線の出し方。

 クリスティーの文章はかなり読みやすい。しかしそのウェルメイドな文の中で、人間の弱さを的確に、巧みに抉り出している。読んでいて「名人芸」という言葉が頭に浮かぶ。

 たとえば、エピローグにジョーンがロドニーの本棚を整頓する場面がある。なんてことのない場面だが、この些細な描写だけでこれまでの夫婦の日常を感じさせ、ゾッとさせられる。夫婦の陥った地獄をごくわずかな描写で感じさせる。この手並みはすごい。

 そして最大の魅力は、ジョーンという人間そのものにある。  

 解説の栗本薫は、本作を「哀しくも恐ろしい小説」という風に称している。たしかに、読後感は後を引くし、これからの人生にずっと残りそうな気さえしてくる。  ジョーンは愚かで、弱い人間だ。自分など途中まで、ジョーンの勘違いっぷりに滑稽さを感じていたほどだ。  

 しかし、彼女をただ愚かだと切り捨てることはできない。自分はジョーンと同じことをしているのではないか。そう思った途端、読者はクリスティの術中にはまっている。勘違いした哀れな老女の姿は、いつしか自分を映す鏡となっている。  

 自分が最もリアルに感じたのは、ジョーンが砂漠で気づいたことを夫に告白するか葛藤する場面だ。  

 これまでのことを謝るか。それとも今まで通りに振る舞うか。  固かったはずの決意、あの時は明瞭だった事実が風化していく。さっきまで考えていたことは錯覚じゃないか? そこまでする必要はないのでは?   

 喉元過ぎれば熱さを忘れる。そうして自分の都合の良いように解釈し、また現状維持に甘んじてしまう。他人事とは思えない。ドキッとさせられる。  しかもこうなった原因がジョーンだけの問題ではなく、ロドニーの優しさにもあるのではと考えたとき、物語はより一層やるせなくなる。  

 ジョーンはロドニーのことを「気が弱い」または「主張すべきことは、あくまでも主張しなければならなかった」と称した。ロドニーに関してだけ、彼女は正しいものを見ていたのだ。  

 クリスティー、とにかく侮れぬ。霜月蒼の『アガサ・クリティー完全攻略』によると、この『春にして君を離れ」よりも面白い本がまだあるという。これは読まなければならない。