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日曜日には鼠を殺せ

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

二大スターの奇妙な対決 『太平洋の地獄』(1968 ジョン・ブアマン)

 

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ジョン・ブアマンの『太平洋の地獄』を観た。あの有名なラストシーンについては知っていたので身構えていたが、思っていたよりも素直に楽しめた。

 

第二次世界大戦末期、零戦に撃墜されたアメリカ空軍の飛行機乗り、リー・マーヴィンは太平洋のある無人島に流れ着く。仲間が助けに来るまで島でサバイバルしなければならないマーヴィンだが、その島には日本軍の生き残り、三船敏郎が生活していた。

こうして出会ってしまった二人の、小さな島での小さな戦争が始まる‥‥‥。

 

この映画の登場人物はリー・マーヴィン三船敏郎のみ。それ以外の俳優は一切出てこない。

圧巻は二人が浜辺で初めて対決するシーン。手にナイフと棒切れを持って向かって来るマーヴィンに対し、三船は木刀を持って対峙する。鋭い目で相手を射抜き、重心を落として木刀を下段にビシッと構えた立ち姿は見るからに決まっていて、圧倒的な強さが感じられる。

 

190センチを超えるマーヴィンの頑強な肉体と向き合うとき、問題となるのは並みの日本人ではつり合いがとれないことである。両者のあいだではケンカさえ起こらないだろう。

それを三船は木刀を持った立ち姿だけで軽々とクリアしてのけた。この1シーンのみで、マーヴィンの肉体とつり合うだけの強さを、観客で一瞬に理解させたのである。この強さに説得力があるからこそ、体格差を問題にせず、二人は対等の存在としてぶつかり合える。他の日本人ではなく、三船敏郎だからできた芸当である。

本作の三船は大熱演。ジャングルを走り回り、敵の米兵に怒り狂う姿の苛烈さ、ところどころでみせる愛嬌など魅力たっぷり。

 

と同時に、このシーンは当時の「世界のミフネ」が、文字どおり世界のスターであったことを物語っている。外国人スタッフに囲まれた中でも、日本の時と変わらない三船敏郎の演技ができたのは、それだけ周囲のリスペクトがあったからだろう。

 

リー・マーヴィンは何と言ってもその巨体、顔、そして低く唸るようなしゃべり方が圧倒的な存在感をもたらす。

ところで本作を観て思ったのだが、マーヴィンの走っている姿は意外と鈍臭く見える。あの必要以上にひょろ長い手足のせいだろうか。『ポイント・ブランク』で見せた、標的を見据えてどんな障害でもふみつぶしていくような、強烈な歩く姿に対して、本作の走るマーヴィンの姿はなにかギャップ萌えのようなものさえ感じる。

 

もうひとつ、本作を観ていてふと思ったことがある。本国アメリカではリー・マーヴィンはどんな存在だったのだろう。

自分の知っているマーヴィンといえば『復讐は俺に任せろ』や『リバティ・バランスを射った男』の粗野で乱暴な悪役、『ポイント・ブランク』や『殺人者たち』のブラックスーツで身を固め、顔色一つ変えずに人を射つ殺し屋、『特攻大作戦』や『最前線物語』の頼れる鬼軍曹など、演じた役のほとんどに暴力がつきまとう、「B級映画スター」の称号がもっとも似合う俳優の一人、それがリー・マーヴィンであった。

しかし、もしかしたらアメリカではこの人を評価する別の文脈があるのではないか、ふとそんなことを思った。

たとえば本作の監督をつとめたジョン・ブアマンはイギリスのテレビ監督出身だったが、それをアメリカに招いたのがマーヴィンだったらしい。このことはマーヴィンの B級俳優のイメージとはだいぶ異なるエピソードではないだろうか。

他にもジョン・フランケンハイマーユージン・オニールの戯曲『氷人来たる』を映画化したとき、舞台版でジェイソン・ロバーズが演じた主人公を、映画ではリー・マーヴィンが演じている。自分はこの作品を見ていないのではっきりしたことはわからないが、マーヴィンがただのアクション映画のスターと見なされていたなら、こういった文芸作品に出演することはなかったのではないか。

このように、当時のアメリカでのマーヴィンは単なるギャング映画や戦争映画のスターとしてではなく、卓越した演技力を備えたひとりの役者として評価されていたように思える。

 

『太平洋の地獄』に話を戻す。

浜辺でのファーストコンタクトから、観客は二人の対決がどれだけ激しいものになるかと、先の展開に期待することになる。

ところが、この映画は観客の期待をたやすく裏切る。これだけの重量級スターの二人を揃えたのに、この後の二人の対決はすごく地味なものとなっている。じりじりした持久戦の繰り返しで、三船がジャングルに火をつけて相手をいぶり出そうとしたり、マーヴィンは水筒をガンガン殴る音で三船を錯乱させようとしたり、なかなか直接対決にはいたらない。

ついにはマーヴィンが三船にションベンをひっかけてみたり、子どものケンカのような攻防に脱力感さえ覚える。

 

 

そういった戦いを続けているうちに、いくら待っても助けは来ないし、こんな無人島で殺し合いするのが馬鹿らしくなった二人は休戦状態となる。といっても食料も水もなんとかなるし、やることもないので二人とも浜辺でダラダラしてすごすしかない。しかも二人とも相手の言葉がわからず(わかろうともしない)、大げさなボディ・ランゲージでなんとなく相手の言うことを理解している状態。三船やマーヴィンのようないい歳した大人が、バタバタ動いてコミュニケーションをとろうとしている。はたから見ていると間抜けに見える。

 

このあたりから二人の関係はより子どもっぽく、情けなくなっていっておもしろい。

あまりにも退屈なのか、マーヴィンはヤドカリを捕まえて遊んでいる。一方で三船は真剣な様子で浜辺に枯山水のような模様をつくっている。そこへマーヴィンがのそのそとやって来て、模様の端っこを踏んでぐしゃぐしゃにする。「コラーッ」と三船に怒られて、またのそのそと逃げていく。

また別の日、三船はバスケットボールくらいはある、でかい貝を捕まえて、マーヴィンに見つからないようコソコソと食べようとしている。なにがおかしいって、このときの三船はわざわざほっかむりした、まるで泥棒のような姿になっている。見るからに怪しい。そこをマーヴィンに見つかり、貝をめぐって追いかけっこが始まる。「これはおれが見つけたんだぞ!」なんて言って大の大人が貝を取り合っている様子はこれまたおかしい。

子どものケンカみたいなアホらしいやりとりだが、それをマーヴィンや三船のような強面の大人が大真面目にやっているのである。ここらへんのシーンは前半と打って変わってユーモラスで、見ていておもしろかった。

 

やがて、二人は筏をつくって島から脱出することを決意する。島に自生している竹を切り出し(ここでラロ・シフリンの音楽がいい仕事をする)筏をつくろうとするが、ここでも二人のケンカは絶えない。筏のつくり方でもめて、自分たちの母国語で喚き合う。

 

それでも協力し合っているうちに、二人の間に信頼関係のようなものが芽生える。それが顕著に表れるのは三船がナイフを研ぐシーンである。夜の浜辺で三船が集中してナイフを研いでいる。そのナイフはもともとマーヴィンの持ち物で、筏をつくっているあいだに、いつのまにか三船の手に渡っていたのだ。

そのことに改めて気づいたマーヴィンの顔に、さっと緊張の色が走る。今は協力し合っているが、三船とはかつて殺し合っていた関係であり、敵国の兵士である。しかも自分の唯一の武器は相手に奪われている。

 

やがて三船はナイフを研ぎ終わり、警戒するマーヴィンに向かって歩いて来る。そして自分が丁寧に磨いたナイフを黙ってマーヴィンに渡すのだ。この瞬間から、マーヴィンの三船を見る目が変わってくる。些細なシーンだが、二人の友情めいたものが垣間見える、いいシーンだった。

やがて筏は完成し、ついに島から脱出する日がやってくる。

 

過酷な漂流の末、ついに別の島に流れ着いた二人。島には少し前まで人がいた形跡が残っていた。

島の廃墟から酒を見つけた二人は久しぶりにヒゲを剃り、焚き火のそばで仲良く茶碗酒を酌み交わす。無人島のときとは違う、穏やかな雰囲気が二人の間に漂うが、そこで三船があるものを発見したことで、また険悪な空気が流れる。そして‥‥‥。

 

有名な「あのラスト」だが、まじめに観ていた観客は、ただ唖然とするか、笑うしかなかっただろう。とにかく戦争へのアイロニーとか虚しさとか、戦いを経て築いた二人の友情とか、そういったものを文字通りぶっとばす、あまりにそっけないラストだった。

なにか狐につままれたような気分で、ああやっぱりジョン・ブアマンは一筋縄ではいかないと納得しながらも、唖然としているしかなかった。