日曜日には鼠を殺せ

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

暗く、神秘的な場所へ 『きつねのはなし』(森見登美彦)

 

きつねのはなし (新潮文庫)

きつねのはなし (新潮文庫)

 

 

 森見登美彦は最新作の『夜行』で示した通り、青春小説だけではなくホラーの名手でもあり、その『夜行』の原点となるのが、この『きつねのはなし』である。

 自分は森見登美彦の作品の中で、この小説が一番好きだ。読んでいて怖いのはもちろん、文中にどこか静謐さ、儚さがただよっている。ホラーというよりも怪談と呼ぶ方がふさわしい気がする。

 この作品の怖さの秘密はどこにあるか。一つは舞台となる京都の神秘性にある。歴史や文化から見ても、京都の街と妖怪や怪奇は親和性が高い。しかし、より重要なのは作者が徹底して「隠す」ことに力を入れていることだと思う。

 

 

 収録された短編『果実の中の龍』の主人公の先輩にこういうセリフがある。「この街には想像もつかないような神秘的な糸がたくさん張り巡らされている」

 この街というのは舞台となる京都のことである。

 そしてセリフはこう続く。

「もしその糸をたどっていくことができるなら、この街の中枢にある、とても暗く神秘的な場所へ通じている気がする」と。

 このセリフのとおり、作者は実在する街に想像の糸を張り巡らせ、暗くて神秘的な場所をつくりあげた。読者は物語をたどりながら、同時に日常の光が届かないほど暗く、怪しげな場所へ糸をつたって降りていくこととなる。

 ただし、読者は神秘の正体を見極めることは最後まで叶わない。理解できるのは糸が深い暗闇につながっていて、その奥にはこの世の常識からはずれた何かが潜んでいることだけである。

 作者は妖しげな世界の存在を示唆するが、その正体を明かすことは決して無い。真の姿を隠し続ける。

 結果的に、その神秘の外郭にわずかながらも触れたという感触だけが残る。

 

 同じように、作中の主人公たちは自身の変わらぬ日常が、何者かに徐々に侵食されていくことを感じることはできても、何が起こっているのか、全容を把握することはついにできない。ただ露呈した闇の前で立ち尽くすだけである。

 その暗闇に読者の想像力が刺激され、それがこの作品の怖さの肝となる。

 真実が隠されたとき、奇妙な出来事を前にして読者の想像力は嫌でも刺激される。この想像力はこれまで見えていなかった(あるいは見たくなかった)何かを認識させてしまう。

 そのときから、今まで何の変哲もなかった細い路地も、親しく付き合っていた友人も、これまでと同じように見ることができない。気配は感じるが正体はわからない、その裏に潜む何かの存在を意識してしまう。そいつは牙を向いてこちらに襲い掛かることはない。ただじっとこちらを凝視し、様子を伺ってくる、その不気味さ。

 その瞬間から、この世は自分のよく知っていた世界とは一変する。そこは自分には理解できない、別の理に支配された場所だと判明するのだ。

 妖しげな世界にただ一人立ちつくしたこのときの心細さ、これがこの作品の恐怖の源となる。

 

                ◯

 

 以下は収録された各話ごとの感想である。

 表題作でもある『きつねのはなし』は死神のような男と取引したせいで、だんだんと怪しげな世界に迷い込む男の話。

 祟りのようについてまわるきつねの面や、お椀に描かれた蛙に凌辱されている女性など、小道具が印象的だが、終盤にある人物の思惑が明らかになったとき、身の冷えるような怖さと儚さが同時に感じられる。

 

 『果実の中の龍』は他の短編とは違い、怪談というよりもひねられた青春ものといった趣が強い。

 主人公が尊敬する先輩の秘密には切ないものを感じるが、最後に龍の根付が明らかにする残酷な真実が強い印象を残す。

 

 『魔』は本作の中でいちばん好きな作品である。

 人の顔を持った得体の知れない生き物。それにまつわる四人の高校生の隠された過去が明らかになるにつれ、物語の裏に潜んでいた何かの気配が濃くなっていく。この辺りの雰囲気は本作の真骨頂である。

 そして語り部まで信用できなくなった瞬間、それまでの淡々と続いた日常が一気に崩壊する。

 ラスト、雨の中で木刀を持った少女の姿が幻想的な印象を残す。

 

 『水神』は本作の最後を飾る作品。葬式のために集まった親類たちが語る祖父にまつわる逸話がまるで百物語のようで、話が深まるにつれてこの世ならざる怪奇へのヴォルテージを高めていく。

 家を突き抜ける水流や、中庭を水槽のように満たす水、そこに浮かぶ着物姿の女という幻想的なイメージは本作のフィナーレを飾るにふさわしかった。