陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

「ランボー ラスト・ブラッド』エイドリアン・グランバーグ

 

 

 

 前作『最後の戦場』はほんっとうに面白かった。映画館で見た当時、その日の疲れが全て吹っ飛んだほど興奮した。これと『ロッキー ザ・ファイナル』を映画館で見られて本当に良かったと、今でもそう思っている。

 さて、そこから11年経った続編は、今まで以上にお話がどうでも良くなっている。武装した人間たちがあれほど簡単に横断できるメキシコの国境、危険なメキシコの街に無防備に乗り込む娘、ランボーを助けるフリージャーナリストのカルメンの存在など、御都合主義な展開が多い。

 もちろんランボーシリーズに緻密な脚本など求めていないのだが、ストーリーのどこまでも予想を上回らない、既視感の強い展開には正直いってちょっと退屈した。

 

 

 ところが物語のテキトーさ、どうでも良さが後半の過剰な暴力シーンによって気にならなくなっていく。

 鬼神の如く復讐するランボー 。その神出鬼没ぶりはもはや人間ではなくなり、怒りの化身となったかのようだ(ラストの敵ボスの殺し方もそういう演出意図があったのかもしれない)。

 そして武装したマフィアを迎え撃つ戦闘準備は、ロッキーの特訓シーンのように理屈なしにガツンと盛り上がり、しかもそれが二度も繰り返される。

 現代的な武装のマフィアたちに対し、ランボーは自作の地下坑道に仕掛けた罠で対抗する。それはベトコンの戦い方というよりも、ベトナムの戦場を再現したように、つまりランボー自身のトラウマを相手に味合わせているようにも見える。

 ゴミ屑のように殺されているマフィアたちの姿に、さらにブチ込まれるドアーズの「Five To One」に否応にもテンションが上がる。

 

 

 というわけで、なんだかんだ見ていて興奮した。しかし‥‥‥。

 『最後の戦場』のラストシーンで、ランボー は故郷に帰り着くことができた。ところが今作ではその我が家が完膚なきまでに失われてしまう。前作の帰郷が本当に感動的だったのに、この顛末はあまりにも悲しい。

 そしてそういった悲壮感は、本作の至るところに満ちている。

 最も印象的なのは復讐のため協力を求めに来たランボーに、カルメンが「暴力は何も生まない」と訴えかける場面だ。

「前を向いて生きるしかない」という彼女の真っ当な言葉を、しかしランボーは強い言葉で全否定する。怒れるランボーの言葉は悲しく、あまりにも虚無的だ。

 復讐の虚無感はランボーの背中にべったりと張り付き、ラストの殺戮シーンでも拭い去れない。確かにアクションは爽快だ、スカッとする。ランボーの象徴である弓矢の使い方や、モータルコンバットを想起させる決着の付け方は派手だし笑えた。しかし同時に複雑な気分になった。その底が抜けたようなグロシーンには、どうも「ランボー」という作品が行き着くところまで行ってしまったような感じまでしてくる。

 このどん詰まり感と作中の悲壮感が相まって、このシリーズの先行きが暗いものに感じられ、もしかしたら今作で本当にシリーズが終了するのではないかという予感がつきまとう。

 

 それでもエンディングには、馬に乗ったランボーが何処かへ走り出す映像が流れる。

 すべてを失った今、ランボーはどこに向かうのだろうか。