陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『落日の門』 連城三紀彦/松浦正人・編

 

落日の門 (連城三紀彦傑作集2) (創元推理文庫)

落日の門 (連城三紀彦傑作集2) (創元推理文庫)

 

 

 連城三紀彦
 綾辻行人伊坂幸太郎米澤穂信、多くの作家たちからリスペクトされ、現在でも特異な存在感を放ち続ける作家。
 連城三紀彦がこの世を去ったのが二〇一三年、約六年経った今でも過去作品を読める機会があるのは、ファンとしてとてもうれしい。
 この『落日の門』に収録された作品は多岐にわたる。恐怖小説ともいえる「化鳥」、香港映画への志向がうかがえる「騒がしいラブソング」「火恋」、生涯最後の短編であり、意欲的な誘拐もの「小さな異邦人」など、収録されたどれもが中期から晩年にかけての注目作だ。
 
 しかし、この傑作選の最大の見所は、連城三紀彦の90年代の代表作と言われながら、発売から現在まで文庫化もされなかった『落日の門』が全編収録されたことだろう。
 『落日の門』は二・二六事件を背景に、五組の男女のドラマが交差する連作短編だ。
 クーデターの直前、愛する女のために仲間を裏切ろうとする軍人、標的である大臣の娘、クーデターのリーダーとその妻たちの人生が錯綜する。一話進むごとに、彼らの秘められた思いが徐々に明らかとなり、やがて物語がひとつの円を描く。
 登場人物は架空ながら、背景となる二・二六事件の空気感にはリアリティを感じる。歴史の歯車に引き裂かれた男女の姿を、この当時の雰囲気が効果的に演出している。
 表題作でもある「落日の門」のミステリーらしさはうすい。しかし裏切り者として糾弾された男が作戦と愛する女のどちらを取るか苦悩する物語は読み応えがあり、唐突に明かされる真実から雪の印象的なラストシーンまで一気になだれ込む。
 続く「残菊」では時代が一気に現代へと移る。赤線廃止法で稼業を終える色街にやってくる最後の客。その客について調べているうちに、二・二六事件との関連、さらに事件に関わった人間たちの思わぬ顛末が明らかになる。読者に提示されていた物語が、ラストのピースによって一気にひっくり返る、その快感が味わえる。
 「夕かげろう」では現代から二・二六事件の直後にまた舞台は戻る。革命を求めた軍人たちはすでに捕まり、処刑を待つ身となった。残された青年将校の妻とその弟がこの短編の主人公だ。軍人の妻として気高く振る舞う女、その妻に惹かれてしまう若い弟、そして裏側にちらつく愛人の姿。
 妻として、女としての想いが一気に噴出するシーンが最大の見せ場だが、ラストの弔いの描写が絶妙だ。そして後の短編のための伏線がさりげなくちりばめてあるのも心憎い。
 「家路」は今作のなかでは最も二・二六事件との関わりがうすい。物語は花葬シリーズの一編「白蘭の寺」を思い起こさせるが、衝撃はこちらの方が上か。二十歳まで病院に隔離され、外の世界を知らずにいた男。突如現れた自分の兄を名乗る者への不信。それらが残り数ページの段階で一挙にひっくり返される。このどんでん返しのスケールは「残菊」を凌駕する。「そんなことが可能なのか」という疑問は連城の文章に込められた熱量に押し切られ、ただ圧倒されるしかない。
 そして最後を飾る「火の密通」二・二六事件で捕らえられた若い軍人のもとに、死んだはずの母が訪ねてくる。
 これもミステリーの要素はうすく、謎の母親の正体は早いうちに察せられるが、そこからこれまでの伏線が一挙に回収され、物語が一本につながっていく。そうして最後に残るのはタイトル通り男と女の胸の奥に秘められた、狂おしいほどの熱情。映像的なラストシーンも印象に残った。
(ただ、これを読むと村橋があまりにかわいそうで‥‥‥。「綾子ちょっとひどない?」と思ってしまう)。

 連城三紀彦の代表作の一つ『恋文』が刊行されたのが一九八四年。それ以降、連城はミステリ作品だけでなく、多くの恋愛小説も執筆してきた。
 そして、連城にとって大事だったのは男女の心の機微、そして「隠す」という行為そのものだった。
 落日の門を読んで思うのは、改めて連城にとって隠すということが一貫したテーマであったということだ。恋愛とミステリという二つのジャンルを自在に行き来した連城だが、そんなことが可能だったのもジャンルを問わず「隠す」こと、「演技する」ことが一貫したテーマだったためではないか。

 犯人が自身の犯行を隠し、それを探偵が暴くのがミステリーの基本的なプロットだ。しかし連城にとって隠すことは単なるミステリーの手法ではなく、もっと根本的な、小説自体のテーマとなっている。
 この『落日の門』では、登場人物たちの抱える秘密や、心の奥に秘められた情念が重要な要素となっている。
 連城の作品にはいわゆる名探偵が存在しない。名探偵は重要ではない。秘密を暴くものよりも、秘密を抱える人物、いわば名犯人という存在が連城にとっての主人公だ。
 胸に秘められた思いがある。なぜ隠そうとするのか。そこに動機があり、ドラマが生まれる。それさえあれば恋愛小説と推理小説の違いは構成の部分に見られるだけだ。連城のミステリと恋愛小説はどこまでも地続きだ。
 そのせいか、『落日の門』で自分がもっとも印象に残るのはミステリーとしての魅力よりも、ラストの女の姿だ。真冬の日が差し込む中、ある男の墓の前での妖艶な微笑み。歴史の波に飲み込まれ、消え入ろうとする女。 
 『落日の門』は大胆なトリックと逆説、さらドラマチックな男女の心の機微、その両方を堪能できる充実した作品であった。


 本書の巻末にはキネマ旬報に連載されていたエッセイが掲載されている。これらのエッセイからは連城の人となりがうかがえ、とても貴重だ。
 このエッセイによって新たに知ったことも多い。例えば連城の描く花街の艶やかな描写が、映画監督の衣笠貞之助からの影響だったことは初めて知った。
 連城が映画好きだったことは知っていた。そもそも若かりし連城はシナリオライター志望であり、シナリオの勉強のためにフランスへ留学、さらに大映増村保造に脚本を読んでもらうなど、かなり本格的にシナリオライターを志していたようだ。『落日の門』でも香港映画から強く影響を受けた作品が掲載されている。
 しかしそれだけではなく、連城の小説に登場する視覚的で華麗な描写、着物や花、灯影の日本的な美しさ、それらが衣笠貞之助山本富士子に由来するとは思いもしなかった。こうしてみると、連城三紀彦の小説は思った以上に映画からの影響が大きかったようだ。

 このエッセイの最終回を、連城は「死ぬわけではないけれど誰方か一人でも惜しんで下さる人はいるのだろうか???」という謙遜の言葉で締めくくった。
 これが書かれた二十三年後、連城三紀彦胃がんでこの世を去った。
 今尚、連城の死を惜しむ人は多い。連城の残した美しい文章、艶やかな男女たち、そして読者を圧倒する奇想はこれからも人々を惹きつけて止まないはずだ。