陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『天国の南』ジム・トンプスン

 

天国の南

天国の南

 

 

 ジム・トンプスンの未翻訳作品が刊行される。これは自分にとって衝撃的な出来事だった。
 数多くのトンプスン作品を翻訳してきた三川基好氏の逝去によって、『この世界、そして花火』を最後にトンプスンの新しい作品を日本で読むことは不可能になったはずだった。それが今ではこの『天国の南』をはじめとし、未翻訳だったトンプスンの小説が定期的に発売されている。ファンは交遊社に感謝しても仕切れないだろう。


 また、本自体のデザインが素晴らしい。トンプスンが主に活躍したペーパーバックを想起させるデザインで、出版社の愛と思い入れが感じられる。
 表紙に使われているホーボーたちの写真も、そのままトンプスンの小説に出てくる男たちの姿にそっくりだ。


 さて、この『天国の南』の舞台はテキサスの油田だ。メキシコ湾近くまでパイプラインを引くため、寂れた街に胡散臭い男たちが集まってくる。人生を持ち崩した労働者、ギャンブラー、悪徳保安官、それに抜群の肉体を持った謎の女など。ノワールとしての舞台は整っている。ここではどんな血なまぐさい事件が起こっても不思議はない。
 作者のトンプスン自身もこのような油田で働いていた過去があるため、ディティールにも優れている。人生をドロップアウトした男たちの描写がとてもリアルだ。
 そうして保安官の銃弾が一人の労働者の顔を吹き飛ばしたとき、物語への期待は大いに高まる。この先待ち構えているであろう、血と暴力の暗い事件への期待が最高潮に達する。
 ところが、である。
 物語は読者の予想を外れ、少し違った方角へ進み始める。物語は前半で期待された禍々しさは影を潜め、黒々しい雰囲気は薄まっていってしまう。
 ノワールの帝王、ジム・トンプスンの小説で、これは一体どういうことだろうか。

 


 読み進めていくうちに、トンプスンは本書をノワールとして書いてないことがわかってくる。
 悪役の犯罪者も書き割りみたいで存在感がない。謎の女、キャロルは主人公を破滅へと導くファム・ファタルとみせかけて、主人公へ思わぬ一途さを見せる。主人公のトムと彼女のやり取りは純情で、とても初々しい。これでは悪女になりようがない。
 こうして、作品の雰囲気は少しずつ、明るい方向へ向かい始める。


 さらに重要なのは登場人物へ向けるトンプスンの視線が、予想以上にソフトなことだ。
 主人公のトム・パーヴェルは若くして身を持ち崩し、油田で働いている青年だが、この無軌道でエゴイスティックな若者が、とある犯罪に巻き込まれることで破滅しそうになる。しかし、そのたびに周囲の大人たちは何かと心配し、忠告しようとするのだ。
 パイプラインの現場責任者、ヒグビーも、街の検事や保安官までも「お前は若いんだからこんなところにいちゃダメだ」とトムを諭そうとする。ハードな前半から、このソフトな展開は何だろうと、読んでいて戸惑ってしまうが、どうも作者はこのトムという青年を突き放したり、見捨てようとはしていないようだ。


 同じように、トンプスンは油田で働く肉体労働者たちも見捨てようとはしない。
 それはヒグビーの労働者へ向ける視線から明らかである。
 ヒグビーは油田に集まったろくでなしたちに複雑な視線を向ける。近い将来身の破滅が待ち受けていることがわかりながら、照りつける荒野に皮膚を傷つけられ、油と泥にまみれながら働いている奴ら。ぐずぐずと地獄のような現場に漂うアル中や老いぼれたち。
 そんな奴らを、ヒグビーは憎み、罵りながらもどこかで仲間意識を感じている。
 そしてそれは作者のトンプスン自身の目だ。トンプスンは労働者のみじめさを緻密に描きながら、一方で彼らを愛せずにはいられない。
 本作では「ねじれたキューでゲームをはじめた」人間たちへの優しさを、作者は隠そうとしていない。それがいつものブラックさを控えめにしている。


 そういった優しさの最もたるのがフォア・トレイだ。地獄のパイプラインには似合わないスマートな男で、まだ若く、金も持っていて、周りの人間からも一目置かれている。
 このフォア・トレイは、トムを何かと目にかける。無鉄砲なトムが危機に陥ったとき、必ず助けに来るし、荒野に寝転がってトムの自作した詩を暗唱させる場面など、とても微笑ましい。
 一度はトムを見放そうとするが、「一度目をかけた相手には徹底的に味方となるべきだ」と愛情の大切さに気づき、最後までトムの味方であろうとする。
 このフォア・トレイは犯罪計画の裏で暗躍するが、その動機もトンプスン作品では極めて珍しい、純粋な愛情のためだ。
 死者も出るほど激しい荒野の労働の中で、このフォア・トレイの存在が一種の清涼剤のような役割を果たしていた。


 兄貴分であったフォア・トレイがパイプラインから去ったとき、主人公のトムは大人へと成長する。嫌がっていたダイナマイト爆破の責任者として、勤めを立派に果たすことで、それまでの自己本位の子供から脱却し、分別のある大人に姿を変えた。
 真剣に働くトムの目には、容赦のない荒野と時代に取り残された肉体労働者たちの群れが映る。時代に取り残され、使い捨ての部品として朽ち果てようとする男たち。そういった鉄クズたちに哀愁を感じたとき、トムは以前の彼ではなくなっている。
 そうして愛した女を救う決心をし、トムはそれまでの不穏な空気を振り切り、幸福な結末に向かって動き出す。そのとき、物語はノワールではく、青春譚としての輝きを増す。
 ここに至っては、本作の最大の悪女ともいえるダイナ(ダイナマイト)でさえ、主人公に大きく笑いかけ、物語は大団円へとなだれ込む。
 これが「おれの中の殺し屋」や「死ぬほど良い女」の作者の作品なのか? と疑いたくなるほどの、圧倒的なハッピーエンドだ。


 本書は『深夜のベルボーイ』『失われた男』のような、人間の暗い欲望や弱さをえぐり出したノワールではない。しかし、社会からあぶれた者たちへの深い洞察、そしてそういった落伍者たちへのシンパシーにあふれた、まぎれもないトンプスンの作品である。
 そしてここから、トンプスンの新たな伝説は始まる。