陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『やがて君になる 佐伯沙弥香について』 入間人間

 

 

 すでに百合漫画の金字塔となろうとしている『やがて君になる』のスピンオフ小説である。作者は『安達としまむら』の入間人間。原作漫画の主人公の一人・七海燈子の親友であり、燈子に恋心を抱く佐伯沙弥香の過去を描いた作品だ。

 入間人間が「やがて君になる」の番外編を書く。それを知ったとき、自分は『安達としまむら』も『やがて君になる』も両方好きなので、非常に楽しみだった。
 番外編は沙弥香の中学生時代、中学校の先輩との恋愛についての物語だ。
 この中学生時代のエピソードは原作の漫画ですでに描かれている。なので原作を読んでいる人は沙弥香の恋愛がどういう顛末を辿ったか、もう知っているのだ。
 結末がすでにわかっている話を入間人間はどのように膨らませ、小説にしたか。
 その方法は小学生時代の、沙弥香ともうひとりの女の子の出会いから物語を始めることだった。

 小学生の沙弥香は原作でよく知っている、あの沙弥香のままだ。高校生のころと性格は少し違うが、「小学生のころ、沙弥香はこんな子供だったのだろう」と思わせるだけの説得力がある。
 勉強も習い事も嫌がらず、誰よりも前を進もうとする沙弥香は、スイミングスクールで一人の少女と出会う。授業の間遊んでいるような不真面目な子だが、一生懸命に練習している沙弥香よりも泳ぐのが速い。そしてなぜか沙弥香の周りを無邪気にまとわりついてくる。自分と何もかもが違う少女に沙弥香はとまどうが、徐々にその子が気になっていく。
 少女は沙弥香を見ていると「手のひらが熱くなる」という。少女はまだ幼く、その熱さの正体に気づいていない。しかし、沙弥香だけはその「熱さ」について心当たりがあった。まだ幼い自分たちには縁がないはずの、女の子同士では起こらないはずの反応に、少女も沙弥香も気持ちをかき乱される。
 二人の関係はある出来事をきっかけに破局を迎えるが、少女との出会いは沙弥香の人生に深い傷を刻む。中学生になってからも、この時の経験が影を落とすようになる。

 中学生になった沙弥香は、同じ合唱部の先輩に告白され、先輩と付き合うかで強く葛藤する。人と交際することについて、しかも相手が女性であることに真剣に悩む。先輩の告白がもたらすものについて、真剣に考える。
 悩み続けた結果、他人を好きになることがどういうことかわからないまま、沙弥香は先輩の告白を受け、交際を始める。そうして先輩の好意に誠実に向かい合おうと、沙弥香は先輩が求める通りの人間になろうとする。
 原作では燈子が向ける好意によって、侑は「自分は誰も好きにならない」ことを強いられる。一方で本作の沙弥香は積極的に先輩の好みに合わせて自分を変化させようとするなど、ある種の束縛を受ける。
 「好き」という感情が人を束縛する、というのは原作でも本作でも共通のテーマだが、これは入間人間の過去作品にもよく見られるテーマではないか。
 たとえば『いもーとらいふ』の主人公は妹との愛情を優先するため、親や友人など他の大切なものを切り捨てなければならない。『安達としまむら』では、安達からの過剰な愛情によって、しまむらは自分が大切にしようとしているものを失う可能性があることを予感している。「少女妄想中。」で<走る女の子>に惹かれてしまうアオも、その好意で自縛状態に陥るのだ。

 先輩に合わせて自分を変えていった沙弥香は、しかし残酷な形でその努力は裏切られた。
 先輩の望む人間になろうとした沙弥香は、相手に望まれなくなったときに、何者でもなくなってしまう。
 中学を卒業した後、先輩と出会う前の自分にはもう戻れないのではないか、という不安に沙弥香は苦しめられる。
 その不安が燈子との出会いで払拭される。間違っていたと思った自分の選択が、新しい出会いで昇華される。
 抱え込んだ絶望が一つの出会いで一転する。ここの心理描写は非常に鮮やかだ。
 燈子と出会えたのは先輩との恋愛があったからだ。先輩との日々があったからこそ、新しい出会いがあった。
 つまり、全てが水泡に帰したはずの先輩との交際も、きちんと意味があったのだ。
 無意味に終わったかの様に見えたことでも、何かの結果につながっていく。

 入間人間は小学生時代のエピソードから描くことによって、佐伯沙弥香という人間がいかにして形成されたか、そして七海燈子と出会うまでに、沙弥香にどんな出会いが必要だったか、そういう物語を紡いだ。
 小学生のときに、少女を追いかけて水面に飛び込んだからこそ、後に沙弥香はかけがけのない相手と出会うことができた。
 そして先輩とのやりとりに心が揺らぐとき、沙弥香が思い出すのは少女と出会ったプールの穏やかな水面であり、少女の感じた「手の熱」である。先輩のことを本当に想うとき、あの手のひらの熱さが沙弥香にもふりかかる。
 実を結ぶことのなかった少女との出会いも、何らかの意味を持つ。すべてのものには意味がある。忘れたとしても、なかったことにはならない。
 沙弥香には報われてほしいと思う。と同時に、あの少女も報われてほしいと思う。
 沙弥香と同じように、不幸な顛末に終わった出会いにも意味があり、少女にとって価値のあるものだったなら良いと、そう思った。

 かつて仲谷鳰入間人間の小説『少女妄想中。』の表紙と挿絵を描いたことがあった。そしてこの『少女妄想中。』を、自分は『やがて君になる』や『安達としまむら』の、いわばB面に当たる重要な作品だと思っている。
 というわけで、次にこの作品の感想も書きたいと思う。