陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『たそがれ酒場』内田吐夢(1955/新東宝)

 

たそがれ酒場 [DVD]

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 戦後、内田吐夢が映画界に復帰してからの第二作目であり、安酒場での一夜の出来事を描いた群像劇である。

 日本酒におしんこ、冷奴を出すような庶民的な居酒屋に、様々な人たちがやってくる。共産主義の運動家。退職する教師を囲む学生たち。ギャング。労働者。警官。身分や立場を超えて色々な人たちが酒を飲んで騒いでいるうちに、いくつもの騒動が起こる。

 客の中には東野英治郎加東大介をはじめとしたベテランから、これから名を売ろうとする後の大御所俳優たちの若い姿が見られる。
 画面奥から突然、男が酒場に駆け込んでくる。男は周囲を見渡し、すぐに階段を飛び越えて画面から消える。この男を演じたのが天知茂だ。映画の中でこの人物について特に説明はないが、十秒にも満たないシーンながら、鋭い目つきと軽やかな身のこなしには目を引かれてしまう。
 そしてギャングを引き連れてやってくる丹波哲郎! 宇津井健の丸顔がハードな役に似合わないのに対し、丹波の若く、精悍でバタ臭い顔つきがとてもかっこいい。このころから被っているソフト帽もよく似合う。
 そんなモダンな丹波が、惚れた女のために宇津井健と一対一で決闘しようする。意外な純情さが微笑ましい。

 多々良純の演じる飲んだくれも面白い。あちこちの席をうろつきまわり、いい加減な口八丁で酒のおこぼれをもらっている。身を持ち崩して世の中からはみ出した男だが、そんな人間でもこの酒場は受け入れてくれる。特にカルメンの闘牛に合わせて小杉勇多々良純が踊る場面は名シーンだ。

 こういった客たちの巻き起こす騒動が楽しく、現代では失われてしまった安酒場の風体も見ていて面白い。
 猫を抱えた中年の夫婦が酒場にやってきて「今日は何にしようか」と話す。そういった酒場の姿には雑多でノスタルジックな魅力がある。

 しかし、映画は小市民を主人公とした、ミニマルな物語に収まらない。むしろ意外なほど豪華な印象さえ受ける。
 おそらく、その豪華さの理由の一つは大胆なカメラワークにあるのだろう。
 酒場のセットの中を西垣六郎のカメラが大きく動き回る。さらに画面の奥行きや高低を目一杯使うことで狭いセットが効果的に使われ、それに合わせて物語のガラも大きなものに感じられる。
 特に津島恵子のストリップのシーンはかなり見ごたえがある。

 もうひとつ重要なのは芥川也寸志が担当した音楽だ。有線の代わりに酒場に雇われたピアニストと歌手が本格的な歌を披露し、さらに客から預かったレコードをかけたり、素人のど自慢大会まで行われる。歌謡曲から本格的なカルメンまで、質素なこの居酒屋には音楽が満ちている。この音楽の存在感は大きく、映画のもうひとつの主役と言っていいほどだ。
 大胆なカメラと充実した音楽。このふたつによって映画自身にこじんまりとした印象を受けず、充実したものを感じるのだ。


 そうして酒場で様々な騒動が起きるうちに、次第に小杉勇と小野比呂志の過去が浮かび上がってくる。
 小杉勇演じる<先生>はかつて一斉を風靡した画家だったが、戦争中に戦意高揚の絵を描いたことを悔やみ、筆を折ってしまう。それ以来パチプロとして生計を立て、酒場で飲むことが今の楽しみだ。
 江藤(小野比呂志)はかつて最先端の音楽家として活躍していたが、弟子に妻を寝取られたことに怒り、妻を刺して人生を棒に振った。現在はさえない酒場の座付き演奏家として、青年の健一(宮原卓也)を育てることだけが生きがいとなってしまった。
 その酒場にたまたま、かつての弟子がやってくる。この弟子は名音楽家として活躍したが、すでに歳をとり「終わった人」扱いされている。
 かつての弟子を見つめる江藤。その表情は苦悶に満ちているが、弟子の方は江藤に気づかない。過去の事件で未だに江藤は苦しんでいるが、すでに弟子の中で江藤は過去のものになっているのだ。このシーンは切ない。
 弟子は健一に目をつけ、自分の楽団に参加しないかと声をかける。しがない酒場から出世できるチャンスに健一は喜ぶが、江藤は行ってはならないと固く命じる。師匠の頑なな態度に健一は面食らうが、それを見かねた先生は、閉店した酒場で江藤を呼び止める。

 さっきまでの喧騒が嘘のような静寂の中、先生が訥々と語り出す。芸術家としては死んでしまった、自分たちの人生について。
 絵で戦争を煽ってしまった男。妻を殺し、音楽家としての道を閉ざした男。先生は自分たちに残された役目について、江藤に懇々と説く。
 自分たちが今できるのは、若い人たちに夢を託すことだけだと。先生は酒場の店員・ユキ(野添ひとみ)に、江藤は弟子の健一に託すべきなのだと、涙ながらに訴える。

 先生の言葉を聞き入れ、江藤は健一が自分の元を離れることを認めた。そうしてはなむけのために最後の歌を歌ってもらう。
 酒場から羽ばたく健一が、イワン・スサーニンのアリアを歌うとき、先ほどまで酔客が騒いでいた酒場に、厳かな歌声が響き渡る。そのとき、新しい明日に向かって踏み出せた者、できなかった者たちの人生が交差する。
 明日もこの酒場には沢山の人がやってくるだろう。しかし、同じ日々が繰り返されるわけでは決してない。
 時代が変わり、人も変わる。あの夜、酒場に集まり、新天地に向かって踏み出せなかった人間たち。先生やユキや江藤のような人間たちは、どこへ行ったのだろうか。
 映画の終わった後も、彼らたちの行く末が、どこか心に引っかかった。