陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『誇り高き挑戦』 深作欣二

 

 

誇り高き挑戦 [DVD]

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 火山をバックにしたニュー東映のロゴが出て、すぐさまファンクの力強いシャウトに機動隊とデモ隊の白黒写真が画面いっぱいに広がる。無闇なエネルギーにオープニングから映画の世界にガツンと引きずり込まれる。

 

 終戦後の日本、業界新聞の記者・黒木(鶴田浩二)はかつて大手新聞社の敏腕記者だったが、今では社員が四人しかいないような会社に勤め、すっぱ抜いたネタを元に会社から金をせびるまでに落ちぶれていた。今日も三原産業という会社を脅しに行った黒木は工場から走り去った車に乗っていた男を見て表情を一変させる。その男・高山(丹波哲郎)は戦争中に日本軍の特務機関員として暗躍していた男であり、黒木とは因縁の相手であった。

黒木は戦争中のリターンマッチだと高山について調査を始める。執念の調査はやがて高山との対面へと結びついた。高山は今では武器ブローカーとして、様々な国へと武器を横流ししていた。戦争中に犯した罪も忘れ、闇社会での金儲けに励む高山に対し、黒木は力強くタンカを切る。

「お前の泣きっ面が見たくなったぜ」

 高山の犯罪を告発するため、黒木の執念の調査が続くが、調査に協力していた弘美(中原ひとみ)にまで高山の魔の手は迫り‥‥‥。

 

 戦争前の古い時代を鶴田が、戦後の新しい時代を丹波が象徴している。この二人の対比は鮮烈だ。

 丹波哲郎は戦争中に特務機関員として働いていて、敗戦後はGHQの協力者に寝返った男だ。時代によって自由に主義主張を入れ替えて生き残ってきた。そして今は国際的な犯罪組織で武器のブローカーをやっている。

 モダンな大胆さと爬虫類的な冷たさを持つ丹波の悪役は魅力的だ。敗戦の悲愁とは無縁の大胆さ。それに散々利用してきた女を電話一本で殺してしまうような冷酷さが際立っている。

 

 対する鶴田はいつもの着流しではなく、黒のトレンチコートにサングラス姿の現代的な佇まいで、これも悪くない。

 鶴田のサングラスはただのコスチュームではない。戦中に一人の女性の死について調査している時、丹波に痛ぶられた目の傷を隠すためのもので、鶴田の戦中へのこだわりを表すアイテムだ。

 

 鶴田が今も戦中に執着しているのに対し、丹波は戦後の時代を歓迎している。

「戦後、この国に根性なんてなかった」

 植民地も悪くない。ようは儲ければいいんだと、丹波は戦後の日本を受け入れ、したたかに生き残ろうとする。

 鶴田は丹波のような生き方を受け入れることができない。時代が変わったから、日本が負けたから、それまでの罪が消える訳ではない。鶴田は丹波の拳銃の密輸入を追求する。

 

 鶴田は丹波の犯罪について記事を書き、原稿を古巣の新聞社に持ち込むが、編集長たちは受け取ろうとしない。

 今の日本でこんなことを記事にしようとしても無理がある。今は耐えるときだ。そうすればいつか状況は良くなる。そんな編集長たちのおためごかしに鶴田は激昂する。

「あんたたちは戦争中と何も変わっていない」

「あんたらの力じゃ、世の中はびくともしない」

 鶴田は編集長を、新聞社のあり方を激しく罵る。戦争中は軍への忖度にまみれた記事を書いていたのに、いざ敗戦すれば戦争の責任を過去に押し付けて涼しい顔をしている。そんな新聞社と犯罪者の丹波がどう違うのか。

 

 戦中と戦後で、時代は大きく変わってしまった。戦争の間に犯してきた罪から、丹波のような人間は大した反省もなく立ち直ろうとしている。それが鶴田には許せないのだ。

 鶴田はサングラスを決して外さず、強引な調査を続ける。鶴田は丹波や新聞社だけでなく、今の時代さえ憎んでいるようだ。

 そういった鶴田の姿を見て思い出すのは加藤泰の『懲役十八年』だ。この映画の安藤昇も戦争を引きずり、新しい時代を受け入れることができない。最後には新時代で私腹を肥やしていた小池朝雄を撃ち殺すことで、現代と折り合うことを完全に拒否してしまう。そしてこの『懲役十八年』の脚本を書いたのが笠原和夫だ。

 『仁義なき戦い』の一作目でも、菅原文太は時代に取り残された男として描かれている。刑務所に入っているうちに闇市の時代は過ぎ去り、文太は社会の急激な変化に取り残されてしまう。そうして過去を清算せずに起業家として振舞っている金子信雄らに対して、文太は怒りを爆発させるのだ。

 

 深作欣二は本作の後も『軍旗はためく下に』や『仁義なき戦い』で「戦後の日本」を描いて来た。この『誇り高き挑戦』はそういったテーマに連なる作品である。

 深作の映画で敗戦後の悲惨さや怒りが表現されるとき、そこにはどこかシニカルさが感じられた。情緒に溺れることなく、状況を冷酷に観察する冷たい視線があった。

 こういった点は深作と同時期に活躍していた中島貞夫の映画と比べるとわかりやすいかもしれない。特攻隊を描いた『あゝ同期の桜』では、中島は特攻に赴く若者たちに入れ込んで撮っている(そしてそれが大いに泣かせる)。これには東京撮影所と京都撮影所という違いも大きいのかもしれない。

 

 鶴田は丹波の犯罪を世に訴えるために厳しい調査を続けるが、過去を憎む苛烈な生き方に鶴田の周りの人たちは離れていってしまう。

 鶴田と一緒に調査を続けてきた梅宮辰夫(まだ痩せていて美青年だった!)も、「新しい時代のアスファルトのまっすぐな道が好きだ」といって、鶴田と袂を分かってしまう。

 鶴田はそれでも調査を続けるが、ついに丹波の犯罪を暴くまでには至らなかった。丹波は日本から脱出しようとする直後、自分が仕えていた組織の人間たちに痛ぶられるように殺されてしまう。

 丹波の死体のそばに鶴田が為す術もなく佇む。その姿をカメラがズームアウトして撮るシーンに、鶴田の無力さが滲んでいて印象に残る。

 

 無念の鶴田だが、ラストには少しの希望が感じられる。悲惨な世の中も、ほんのちょっとずつでも変わっているのかもしれない。

 しかし、いい年の鶴田が女子大生に「何もわかっていない」と言われるラストは見ていて恥ずかしい気もする。

 逆光に浮かび上がる国会の姿を、ついにサングラスを外した鶴田が眩しそうに見ている。   

 その姿をローアングルで力強く捉えたショットで映画は終わる。