陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

一つの写真、一人の男 『キャパの十字架』沢木耕太郎

 

 

キャパの十字架 (文春文庫)

キャパの十字架 (文春文庫)

 

 

 ロバート・キャパ。スペイン内戦を始め五つの戦場を駆け回り、最後は地雷によってこの世を去った伝説の戦場カメラマン。特にスペイン内戦で撮ったある写真は、のちの報道写真のあり方を決定づけたと言われるほど重要なものとなった。

 その写真は『崩れ落ちる兵士』と呼ばれた。頭を撃たれた兵士が文字通り崩れ落ちる瞬間をとらえた傑作だが、この写真には多くの謎が残っている。   

 スペインのどこで、いつ撮られたのか。本当に撃たれた兵士を撮った物なのか。キャパがこの劇的な瞬間を撮影できたのはなぜか。

 やがて兵士は撃たれたのではなく、倒れた演技をしているだけだという「やらせ疑惑」も出て、未だ議論は絶えない。

 

 そんなキャパと『崩れ落ちる兵士』について、沢木耕太郎は前から並々ならぬ興味を持っていたようだ。それがわかるのが『キャパの十字架』に先立つ二十年以上前に書かれた「三枚の写真」という文章である。これは『象が空をⅡ 不思議の果実』に収録されたものだが、この文章を書いている時、沢木はキャパの評伝を翻訳している最中だった。

 この文章ではすでにキャパと「崩れ落ちる兵士」の真贋について言及しているし、さらには「大きな十字架を背負ったキャパ」という『キャパの十字架』とほぼ重なる表現も出てくる。他にもいろいろな文章で沢木のキャパについての言及は見られ、沢木にとってキャパという存在がどれだけ大きかったかがわかる。

 そして沢木は、ついに『崩れ落ちる兵士』の真贋についての調査に乗り出した。スペインを何度も訪れ、関係者へのインタビューを重ね、その結論が本書『キャパの十字架』である。

 

 

 最初に不満点を挙げておく。本書にはキャパやゲルダが撮ったいくつもの写真が縮小されて掲載されているが、目の悪い自分には写真の細部が見えにくくて困ってしまった。自分は文庫版を読んだので、単行本よりも余計に写真が小さくなっていたのかもしれない。

 沢木の検証では隅っこに写っている小さな草や雲が重要な意味を持ってくるのだが、小さい写真を見比べるのに疲れ、せっかくの検証を十分に楽しむことができなかった。

 

 それでも本書はおもしろい。特に印象に残るのは写真の持つ脆弱性と、キャパという人物の持つ魅力である。

 

 本書を読んで、写真というものの脆さに改めて気付かされた。

 トリミングやキャプチャーなどの編集によって写真の印象は大きく変わる。さらには写真を紹介する者の意思によって、写真は平気で嘘をついてしまう。

 例えばススペレギ教授と曾祖母の写真のエピソードがある。このスペイン人の教授はキャパの写真がフェイクであることを指摘し、沢木の検証に大きな影響を与えた人物である。

 そのススペレギ教授の曾祖母はスペイン内戦中、フランスへ逃げようとする民衆の一人だった。逃げる途中、海岸に座り込んだ曾祖母の姿を、ある報道カメラマンが写真に残していた。この写真はトリミングされ、様々な雑誌に掲載される。

 編集されていくうちに、写真はどこで撮られたものか、被写体の女性は誰かが曖昧になっていく。そのうちに、写真は全く関係のないゲルニカ空爆の被害者を写したものとして扱われてしまう。

 写真の「事実」を歪めるのは簡単なことなのだ。こういった写真の脆さは『崩れ落ちる兵士』も例外ではない。

 

 ただ、その一方で写真が予想以上に多くのものを語ることも事実なのだ。一瞬を切り取った写真をくまなく精査するとき、写真は思いもしなかった事実の一片を見せてくれる。

 沢木の検証は写真の隅に映る小さな断片を調べることで始まる。そういったごく微小な細部を積み重ねていくことが予想以上の仮説を生み出し、事実への接近を可能にする。

 

 

 そうした事実と仮説の積み重ねの末、いろいろなことが明らかになっていく。キャパはどのように撮影を行ったかということも、最初は重要視されていなかったキャパの恋人、ゲルダ・タローが『崩れ落ちる兵士』に深く関わっているかもしれないことも。そしてロバート・キャパという人間についても。

 沢木は細かい検証を重ねながら、キャパという人間をもう一度捉え直そうとする。何度もスペインに行き、撮影場所を探しに歩き回り、写真の隅の隅を見比べる。そうした作業を繰り返す内、キャパが背負った「罪」の存在と、「十字架」を背負いながら幾多の戦場を渡り歩いた男の姿が徐々に露わになっていく。

 そのとき、読者の前には非凡な力を持ち、戦場を嫌いながら戦場を必要とする男の、物悲しい姿が存在感を持って浮かび上がってくるのだ。

 本書は単にキャパの神話を剥ぐだけのものではない。沢木があれだけの時間と手間をかけて謎を追ったのはキャパを否定するためではなく、キャパの新たな実像を描くためだった。そういう印象を受ける。

 キャパの行為を糾弾することもできただろう。ただ、沢木はそうしなかった。

 そうして本書を振り返ったとき、読者に残るのは、あとがきで作者が振り返ったとおり「旅をした」という余韻である。

 写真の謎を追いかけることが、キャパの足跡を巡る一つの旅となる。その旅が終わったときに残る読後感が、本書の最大の魅力かもしれない。

 

 

不思議の果実―象が空を〈2〉 (文春文庫)

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