陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

『スーパーカブ』 トネ・コーケン

 

 

スーパーカブ (角川スニーカー文庫)

スーパーカブ (角川スニーカー文庫)

 

 

 

 

 自分はバイクに乗ったこともないし、カブに触ったことさえない。これから乗ることもないだろう。

 そんなバイクへの興味がペラペラにうすい人間でも、この『スーパーカブ』は楽しく読むことができた。

 

 

<ストーリー>

山梨の高校に通う女の子、子熊。両親も友達も趣味もない、何もない日々を送る彼女は、中古のスーパーカブを手にいれる。初めてのバイク通学、ガス欠、寄り道、それだけのことでちょっと冒険をした気分。仄かな変化に満足する子熊だが、同級生の礼子に話しかけられ——「私もバイクで通学してるんだ。見る?」一台のスーパーカブが彼女の世界を小さく輝かせる。ひとりぼっちの女の子と世界で最も優れたバイクが紡ぐ、日常と友情。

 

(裏表紙より引用)

 

 

 これが処女作であるためか、いくつか気になる部分がある。文章はどこか硬い印象を受けるし、設定と矛盾する描写も見られる。208ページで子熊が「テレビやネット動画に映るスーパーカブが気になる」という記述があるが、子熊の家にはラジオしかないという設定ではなかったのか。どこでテレビやネットを見たのだろう。

 また、同級生の美少女・礼子が子熊の生き方に影響を受けていたことがわかる場面も、どうしても唐突な印象を受ける。いつのまに子熊をそこまで評価していたのか。事前にもっと伏線を効かせていれば、二人の友情について説得力が生まれるし、もっと感動的な場面になっていたのではないか。

 

 さらに本書のストーリーは極めて地味だ。礼子が富士山にカブで挑む話や子熊がひとり旅をする話は比較的派手だが、作中のほとんどはカブ乗りが共感するような小ネタと、カブに乗る主人公の地味な日常描写に費やされている。

 

 では自分はこの作品を楽しまなかったかと言うと、むしろ十分に楽しんだ。

 一体なにがこの作品の魅力なのだろう。色々考えてみると、むしろ地味な日常描写こそが、本作の最大の見所かもしれない。

 

 「通学が楽になるから」という軽い気持ちで買った格安中古のカブが、子熊の生活に少しの彩りを与える。少し遠くのスーパーへの寄り道、夜にカブでの散歩、アルバイトなど。一つ一つは地味だが、これらが子熊を単調な生活から解き放ってくれる。

 予想以上にカブにはまった子熊は、さらにカブでの生活を快適にするためオイル交換やパンク修理なども挑戦するようになる。

 カブと一緒に生活するにつれて、子熊自身も少しずつ変化していく。カブと出会う未知の体験のたび、問題を分析し、自分の選択肢を省みて行動を取捨選択し、時には周囲の助けを借りながら少しずつ解消していく。そうやってできることが増えるにつれて、子熊の狭い世界はゆっくりと広がりを持ちだす。

 そのうちに趣味も友達も持たなかった少女は、カブを通じて友達を得たり、バイクで遠くへ出かけることの楽しさを知ったりする。カブによって静かに、ゆっくりと子熊の日常は豊かなものになっていく。

 バイクに興味がなくても、そうやって少女が成長していくプロセスには清々しい魅力がある。

 

 また、子熊の生活に彩りを与えるのが、おしゃれなスクーターではなく、どこまでも機能的なカブというのが良い。車ほど快適でもない、バイクほどのスピードは出ない。そんなカブと走るのが子熊の穏やかな生活にはふさわしいのだろう。

 

 作中で礼子は「カブならどこへでも行ける」と言う。たしかに本作で描写されるカブには、そう思わせるだけの存在感がある。

 終盤、子熊は修学旅行に途中参加するため、カブで山梨から鎌倉までのひとり旅をする。半日ほどの小さな旅だが、今まで走ったことのない長距離走行である。カブと出会う前の子熊なら、そんな旅に出ようとさえ考えなかっただろう。カブが与えてくれたのは移動手段だけではない。今まで子熊を縛っていた、目に見えない束縛からもカブは解き放ってくれる。カブとの生活によって得た力が、子熊を小さな冒険へと踏み出させる。

 作者は子熊の日常と、カブによって子熊自身がゆっくり変化していくのを愚直なほど素朴に描く。その地味さこそが本作の最大の美徳なのかもしれない。