陽のあたる裏路地

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

今日ですべてが報われる『15時17分、パリ行き』 クリント・イーストウッド

 

 

 

 鑑賞前に、自分がこの映画に期待していたのは「テロリストに対峙した三人は、いかにしてテロを阻止したか」という点である。武装したテロリストを相手に、丸腰の男たちはいかにして凶行を阻止したのか。そのときに何が起こったのか。その緊迫した瞬間を目当てに映画館に向かったのだ。

 しかし、この期待は十分には満たされず、大きく不満が残った。

 

 まず、中盤にたっぷりの時間を使った、主人公たちのヨーロッパ旅行のシーンに躓いてしまう。

 男たちが船で出会った美女とアイスクリーム(ジェラード?)を食べる。歴史的な名所を自転車で回る。ナイトクラブで羽目を外して騒ぎすぎて、翌朝は二日酔いの頭痛に苦しむなど。延々と続くこれらのシーンに、どうしても中だるみを感じてしまう。緊迫したテロとの闘いを期待していたのに、男三人が楽しく観光する場面が長すぎて、少し閉口してしまった。

 

 しかも、映画の終盤、ようやくテロリストとの対決が始まるが、このシーンが意外と短い。しかも地味である。フィクションではなく、事実に基づいた作品のため、この地味さは仕方がないのかもしれないが、あの旅行の中だるみを解消するまでの見せ場になっていない。

 

 が、見終わってから、自分の中でこの映画への印象は大きく変わっていった。なぜイーストウッドがこれらの描写にこだわったのか、何がこの映画のテーマだったのかがようやく理解してきたからだ。

 

 

 なぜカラシニコフを持った男に主人公の一人、スペンサーは躊躇なく飛びかかることができたのか。あの瞬間に突っ込むことができなければ、テロリストを取り押さえることはできず、被害は甚大なものになっていたかもしれない。なぜスペンサーは最善の行動を即座にとることができたのか。その理由を説明するために、この映画はいくつもの偶然が運命を左右したこと、それとテロリストと対峙した三人の男たち、軍人のスペンサーとアレク、それに大学生のアンソニー、彼らの半生を描くことで説明しようとする。

 

 偶然の一つ目は男たちがパリ行きを決めた理由である。ヨーロッパの国々を周るつもりの主人公たちは、旅行中に「パリへは行かなくてもいい」という話を何度もする。しかし、バーで出会った老人の助言や、いくつかの偶然によって主人公は気を変え、予定を変更してパリへ向かうため、のちに事件が起きる列車に乗り込むことになった。

 さらに幸運なことに、テロリストのカラシニコフの弾倉に込められた一発目の弾丸は不発弾だった。その上、主人公の一人がSNSに写真を投稿するため、Wi-Fiが使用可能な車両を探していたことが幸いした。三人はWi-Fiを使える席に移動したが、その席と隣の車両から現れたテロリストとの間には絶妙な距離があった。これによって不発弾に気づいたテロリストが再装填する前に、スペンサーが体制を整え、素早く飛びかかることができた。

 主人公たちがテロリストを取り押さえることができたのは、こういったいくつもの偶然が必要だった。何か大きな力に導かれるような幸運がなければ、事件の結末は全く違うものになっていたであろう。

 

 だが、最大の幸運はこの場にスペンサーという人間が立ち会ったことであった。そしてこのスペンサーをめぐる運命がこの映画の最大の見所である。

 

 映画の前半で描かれるスペンサーの半生は挫折に満ちている。シングルマザーに育てられ、学校では落ちこぼれ。そんな子どもが誰かの役にたてる人間になりたいと望み、それが軍隊のパラシュート隊に入って人々の命を救うという目標となる。パラシュート隊に入るために、スペンサーは猛烈な訓練で体を鍛えあげ、軍隊の試験を受ける。

 しかし、努力は報われなかった。体力テストは好成績でクリアしたが、生まれつきの空間認識力の欠陥を指摘され、パラシュート隊とは別の部隊に配属されてしまう。その部隊でも落ちぶれてしまい、正規コースを外されてからは実戦に派遣されないまま、ただ救助活動や柔術の訓練を受ける生活が続く。

 

 

 しかし、列車でテロリストと遭遇したとき、これまでの人生での苦悩や挫折は無駄でなかったことがわかる。柔術の技術はテロリストとの格闘に、救急医療の知識は撃たれた人の応急処置に役立ち、そして人を救いたいという願いは丸腰で銃を持った相手に突進するという、無謀なまでの勇気を与えた。

 ままならない人生で、それでも培って来た技術や知識。それらが予想しなかったほどの多くの人々の人生を救う。そしてこのことがスペンサーの人生への悔恨を一気に昇華させる。

 

 スペンサーは命がけでテロリストと格闘し、取り押さえるがカッターナイフで首を切られて傷を負ってしまう。停車した列車から救助され、車椅子に乗せられたスペンサーの前を乗客が避難していく。

 乗客たちは命の恩人であるはずのスペンサーには目もくれず、いそいで歩き去って行ってしまう。しかし、スペンサーにとってはその瞬間こそが人生最良の瞬間だったのだ。無事に列車から降りられる人たちの姿こそ、自分が誰かの助けになったこと、これまでの人生が無駄でなかったことの証だからだ。そしてこの瞬間に、男の苦悩は完全に報われるのだ。

 イーストウッドが描きたかったのはこの一瞬、男の全てを一変させるような、痺れるような瞬間を描きたかったのではないか。それにはあの長い時間をかけて男たちの歩んで来た道を、それがいかにしてパリに至ったのかを描写する必要があった。

 

 その後のフランスで勲章を授かる場面や、故郷でのパレードなどは蛇足に感じられる。おそらくスペンサーには勲章や名声はあまり問題ではなかっただろう。

 車椅子から乗客を眺めていたとき、スペンサーはもっと重要なものを得たはずだ。そしてその瞬間が、この映画で最も感動的なシーンだった。

 

 

15時17分、パリ行き (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

15時17分、パリ行き (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)