グラス一杯の幸せに 『ジーサンズ はじめての強盗』 ザック・ブラフ
本作の最大の弱点、それは邦題のダサさである。『Going in Style』がなぜジーサンズになるのか。
ちなみに本作は『お達者コメディ/シルバー・ギャング』のリメイクである。こっちの邦題も相当ダサいが、これがあのマーティン・ブレストのデビュー作であるのには驚いた。『ミッドナイト・ラン』とか『セント・オブ・ウーマン』とか好きだったけど、今は何しているんだろうか。
コメディ映画なので、銀行強盗の計画や警察の捜査に甘い部分があるのだが、それでもしっかりとケイパーものをやろうとしているのに好感が持てる。アリバイ工作もマイケル・ケインのはどうかと思うが、トイレやボケ老人をつかったトリックは悪くない。ボケ老人役のクリストファー・ドイルの演技もあっておもしろかった。しかしこの人ほどイメージが変わらない人はいないんじゃないか。
老人三人組はみんな良かったが、なによりマイケル・ケインはかっこいい!
たとえ歳をとっても、体にガタがきても、上品で品がある。本作はモーガン・フリーマンがクレジットの最初に来るが、実質的な主役はマイケル・ケインである。
モーガン・フリーマンもいつも通り味のある演技だった。三人の中でいちばん曲者のアラン・アーキンもよかったが、『ミッドナイト・ガイズ』のときのように、今作でも女にモテる絶倫男だったのがおもしろくて一人で笑ってしまった。
自分たちの年金を悪徳銀行から取り戻すために強盗を決意する三人だが、奪った金で高級車を買おうとか贅沢をしようという風には考えない。
金を奪ったら何をしたいか?マイケル・ケインの問いにモーガン・フリーマンはしみじみと応える。
「家族に会いにいきたい。それと気のすむまでパイを食べたい」
この素朴であり、切実な願いが見ている人の胸を打つ。モーガン・フリーマンの家族は遠い離れた地に住んでいる。スカイプをつかって話すことも可能だが、直接会いたい。そのためには金がいる。年金を停止されることは、家族と会うことを奪われるのと同じ意味を持つ。
それはマイケル・ケインも一緒である。強盗を計画するのは金のためだが、それはただ自分のための行動ではない。マイケル・ケインには離婚して実家に帰ってきた娘がいる。娘はまだ幼い孫娘と一緒に帰ってきた。家を奪われることは家族がバラバラになることを意味する。そのために、マイケル・ケインは無茶であっても強盗をやり遂げようと決意するのだ。
本作の美点はこのシーンに象徴されるような慎ましさにあるのだろう。
強盗に失敗して逮捕されたときのことを考え、マイケル・ケインは嫌っていた娘の元の夫を家に連れてきて仲直りをさせようとする。それでどうするかというと、元夫に娘と孫のための朝食をつくらせるのだ。「デザートとパンを一緒の皿に載せると孫が嫌がる」など、家族のための朝食のつくり方を教えるマイケル・ケイン。
なにか説教くさいことを言うわけでもなく、ただ行動で示させる。この男は変わる意思があるのだと。「こいつはダメなやつだったが、もう一度チャンスを与えてやってくれ」と頼むマイケル・ケインの姿には清々しいものを感じるし、ここを過剰に盛り上げようとしない演出が役者の演技を引き立たてるわけである。
そうして、立ち直っていく元夫に頼むである。「娘を頼んだ」と。
そして男は、一世一代の犯罪に挑む。
強盗の結果がどうなったかは、映画を見てからのお楽しみである。黒いスーツを着てスピーチする姿で「もしや」と思わせておいて、軽いツイストを挟んでの乾杯。これも地味ながらも良いシーンだった。
残された時間は多くはない。それでも、その時間を悲観することなく、楽しんで生きることができる。そういう映画のメッセージに、気分良く映画館から帰ることができた。