日曜日には鼠を殺せ

観た映画や、読んだ本について書くブログ。ぬるっと始めたので詳細はまだ不明。

「闇の歯車」(藤沢周平)を読み、深い虚無の世界に浸る

  藤沢周平の小説を初めて読んだのは中学生のときで、本は「隠し剣秋風抄」だったと思う。

 

新装版 闇の歯車 (講談社文庫)

新装版 闇の歯車 (講談社文庫)

 

 

 

 天井に届くくらい、大きくて白い本棚が家にあった。父親の本棚だった。本棚には父親の仕事に関する本がぎっちりと並んでいたが、その中にちらほらと小説や漫画も並んでいた。その中には藤沢周平の本も含まれていた。

 ミステリばっかり読んでいた中学生のときに、なぜ時代小説を読もうと思ったか、思い出せない。ただおもしろかったという感想だけは覚えている。当時は豊かな物語の世界に浸れるだけで幸せだった。渋く、それでいてリリカルな文章、次々と繰り出される秘剣での決闘、平凡な人生を生きてきたはずの男たち女たちが、非情な運命に身を投じる姿。これまで触れたことのない、時代小説の世界を難なく受け入れ、魅了されていった。

 すぐに続けて「隠し剣孤影抄」を読み、「蝉しぐれ」や「用心棒日月抄」シリーズへと手を出していった。どれも面白かった。勉強そっちのけで楽しんだ。

 しかし、ある時期から藤沢の本を読まなくなっていった。藤沢が嫌いになったわけではない。エルロイやル・カレなどの海外ミステリの方へ興味が移ったからだろう。何年もの間、藤沢周平を読まない日が続いた。

 再び藤沢作品を意識するようになったのは二十代を過ぎた頃、古本屋で偶然「暗殺の年輪」を見つけてからだった。今更ながら藤沢の処女作を読んでいなかったことに気づき、興味が湧いた。二百円払って古本を買い、近所のマクドナルドに入って読んだ。一気に引き込まれた。

 

 藤沢の処女作、「溟い海」は年老いたかつての巨匠、葛飾北斎が主人公である。北斎は「東海道五十三次」を発表した新鋭の画家、安藤広重を妬み、ごろつきを連れて広重襲撃を企てる。

 処女作ながら藤沢の描写の力はすでに卓越していた。特に北斎東海道五十三次を目にする場面。北斎は広重の絵の画期的な魅力を看破し、同時にこれまで築き上げてきた、自分の絵では到達できない地点に広重が立っていることを実感する。自身の栄光が崩れ落ちる音を聞く北斎の姿は、作者の筆によって読み手の胸に迫り、そしてなぜ広重襲撃という突飛もないことを北斎が企てたのか、読者に理解させる。

 すんでのところで北斎は広重を襲うのを断念した。それは広重の顔に浮かんだ、深い疲労と虚無の色せいだった。不敵にさえ見えた絵師の、隠された人生への絶望が、北斎の敵意を失せさてしまう。

 自分の集めたごろつきたちの報復を受け、ボロボロになって家に帰った北斎は描きかけの絵に筆を入れる。絵には荒れた海と一羽の黒々とした海鵜が描かれている。

 外は木枯らしが吹き荒れている。薄暗い家の中で、北斎は黙々と海を黒く塗りつぶす。開けることの知らぬ溟い海と、虚空を猛々しく睨む鵜。打ちのめされた北斎が寒々しい絵を描き続ける姿には、老人の孤独や哀愁といった言葉では言い表せない、黒い虚無を感じさせる。

 そしてその虚無感は生きている限り逃れられないものとして、「暗殺の年輪」の登場人物たち全てにまとわりついている。政略に巻き込まれ暗殺を仕掛ける若い武士も、息子の嫁を自死へと追いやってしまう老兵法家にも。

 隠し剣シリーズや後の作品にも、そういった虚無の要素はあったはずだった。しかし、初期の作品には生きていることの悲壮感や苦しさが全面に押し出されている。「暗殺の年輪」の主人公たちは明るい街中を大手を振って歩くのに向いていない。似合うのは月明かりしかない真夜中だ。男たちは顔を伏せ、息を詰めて歩いている。そして秘められた殺意が走り出すのを待っている。

 藤沢はのちにエッセイで若くして妻が病死したことが小説を書き始めた同期の一つだと語っている。そのために、初期の作品には暗さや悲壮感が漂う展開が多かった。そういった暗さから作品が脱却し始めるのは「用心棒日月抄」からで、初期の作風のままだと自分は作家としてやっていけなかったかもしれないと。

 だが、自分が強く惹かれたのは、その暗い虚無感だった。当時、自分は高村薫の熱心な読者だった。高村の書く男たちも、心中に深い虚無を宿している。いつその虚無に我が身を食い破られるか、身を苛まれながら、ある男は人を殺し、別の男は殺人者を追いかける。その虚無感に惹かれて高村薫を読んでいた。

 その虚無と同等のものを藤沢の作品は持っている。そのことに気づき、自分はまた藤沢の作品を求め出した。

 

 そして、「暗殺の年輪」の次に手にを出したのが「闇の歯車」だった。「闇の歯車」は藤沢の作品の中でも珍しい、本格的なケイパーものである。

 江戸の街のしがない酒場にたむろする四人の男たち。彼らは生業も年齢も違うが、それぞれが人生に鬱屈を抱え、酒で一時の憩いを得ようとしている。そこに一人の悪党が現れ、男たちにこう告げる。「儲け話があるんですよ。一口乗っちゃくれませんか」と。

 各々の理由で金が欲しい男たちは、悪党が計画した問屋への押し込み強盗に参加する。

 デビューから一貫して時代小説、歴史小説を書いてきた藤沢だが、私生活ではそういった類の小説を読むことはほとんどなかったという。代わりに大のミステリ好きで、それも本格物から海外ミステリ、さらには船戸与一逢坂剛といった冒険小説まで愛読していたというから相当なものだったのだろう。もしかしたらケイパーものの大家、ドナルド・E・ウェストレイクの作品も読んでいたのかもしれない。

 他にも藤沢はハードボイルド小説のエッセンスを取り入れた「彫師伊之助捕物覚え」を書くなど、時代小説にミステリの要素を持ち込むことに意欲的だった。「闇の歯車」も犯罪小説の型を時代小説に組み込むことがコンセプトだったのだろう。

 犯罪小説らしく、作中には重苦しい雰囲気が立ち込め、登場人物たちは屈折した自我と人生への悔恨を抱えている。

 中でも一際目につくのは強盗に参加する浪人、伊黒清十郎である。貧乏長屋に病気の女と暮らし、臨時で道場の師範を務めることで生計を立てている伊黒だが、かつて子持ちの人妻と駆け落ちし脱藩、江戸へ逃げのびてきたかこがある。逃亡のうちに人妻は病気で寝たきりとなり、伊黒は細かく女の世話してやっている。

 一見、真面目な生活を送っているようで、伊黒の中にはぬぐいきれない澱のようなものが沈んでいる。女の病気、脱藩した藩からの刺客、郷里に子を残した罪の意識。様々なものが伊黒を追い詰め、蝕み、生きる希望を奪ってしまった。

 伊黒は金欲しさに押し込みの計画に加わるが、それは女の治療のためではない。女はすでに病魔に犯され、もう助からないことは伊黒もわかっていた。ただ狭く、重苦しい江戸の長屋ではなく、どこか海の近くで女を死なせてやりたいという思いが、伊黒に押し込みへの参加を決意させるのだ。

 伊黒は女が助からないことも理解している。同時に自分の生死にも興味を持てない。心身をすり減らし、二人は少しずつ死に続けていく。

 無事に強盗は成功したが、間に合わなかった。女の体は限界を迎えていた。真夜中、女の息の根が止まろうとしているのに、伊黒には何もしてやることができない。ただ女が死に行くのを見つめながら、わたくしは悔やんでおりませんという女の言葉を自身の内に反響させるのみである。外には脱藩を咎め、藩から送り込まれた刺客が待ち受けている。

 単純に作品と作者を結びつけることはできないが、このあたりの描写は、若くして妻を亡くした藤沢の経歴もあってか、非常に重々しく、読んでいてつらいものがある。伊黒をめぐる運命には、もはやノワール小説のような趣さえ感じられる。

 

 押し込みに関わった男たちのうち、伊黒を含めた三人は非情な運命をたどる。しかし、やりきれない物語の最後に作者はある救済を用意している。明けることのないような夜中、生き残った男が手にした(文字通り)あたたかな未来。そこから感じられるのは、弱さを抱え、屈折した男たちへ向けた、藤沢の深い愛情である。

 

 

暗殺の年輪 (文春文庫 ふ 1-1)

暗殺の年輪 (文春文庫 ふ 1-1)